2018年8月5日・・・自ら苦しまれた救い主
多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。ヘブル2:10(10-18)
どうして、御子キリストが苦しみ死なれる事が、神にふさわしいと言えるのでしょうか。
《救い主にとって、この子たちは兄弟姉妹であるからです(11-13)》
「神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ1:5)。御子キリストは神から生まれた、キリストの救いの祝福に預かる者たちも神によって生まれた、だから共に神から生まれた兄弟となる、これは主の当初からの計画です。神が、人類のために犠牲を払われたのは、私たちを家族として愛して下さったからです(ローマ5:6-8)。主は愛する子どもが、罪によって滅びようとしているのを見て、自ら犠牲を払われました。それは子たちの親である主にとって、ふさわしい事だったのです。
《彼らの身代りとなって罪と死から解放するためです(14-16)》
人類は罪を犯し、罪に支配されて、滅びる者になってしまいました。「罪の報酬は死です」(ローマ6:23a)。聖い神は、罪を見過しにはできません。しかし、人を祝福する計画が、人類の誤ちによって頓挫する事は、全能で真実な主にふさわしくありません。どんな犠牲を払ってでも、祝福の御計画を完成するのが、真実な主にふさわしいのです。神は、救いの計画を堕落の直後に示し、忍耐をもって準備し、キリストによって成し遂げられました。罪が赦されるためには、いのちの代価が必要です(9:22)。その代価を払うために、御子は人となって、罪の罰として受けるべき苦しみを受け、御自身のいのちを身代わりにささげられました(1ヨハネ2:2)。キリストに付く者は、キリストと共に罪と死に勝利します(1ヨハネ:3:8)。
《あわれみ深い充実なとりなし手となるためです(17-18)》
大祭司は、民に代わって犠牲と祈りをささげ、罪の赦しと祝福をもたらす働きを担います。同じ人間であることが、祭司の資格でした(10:5)から、御子は人となられました。また、御自身も苦しまれたので、私たちの苦しみを理解できます。御子は、父の命令に従順に従うと同時に、御自身も私たちの救いを願い、喜んでご自分を犠牲にされました(12:2)。キリストは御自身で試練を受け苦しまれたからこそ、試練に苦しむ人々を思いやり、助ける事ができます(4:15,5:2)。キリストは、最も苛酷な苦難を御自身で経験されました。十字架の極限の苦しみの中にあってさえ、ご自分を殺そうとする者を赦しとりなされました((ルカ23:34)。また母マリヤを顧みられました(ヨハネ19:26)。「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです」(2:18)。