2018年9月23日・・・恵みに立ち成熟をめざそう
神が許されるなら、先に進みましょう。ヘブル6:3(5:11-6:3)行ないによって祝福を得ようとして停滞してきた人々への「叱咤激励」です。これが、人の努力に頼りがちな私たちにも告げられている事を覚え、成長をはばむ障がいを乗り越えて恵みによって前進しましょう。
《霊的未成熟に留まっていた人たち(5:11-14)》
記者は読者が未熟で、固い食物(深い霊的教え)を吸収できないと指摘します(11)。キリストが永遠の大祭司(罪を赦し、祈りに答えて下さる)事を理解・体得できれば、困難など吹き飛びます。しかし聖書を良く学んで来たはずなのに、手紙の読者は吸収できません。年数から言えば指導者になって当然なのに、幼子の状態に留まっていました。。すばらしい恵みと約束が与えられたのに、それを理解できず、弱く貧しいままでした。十字架の福音は、信じるすべての人に救いを得させます(1コリ1:18)。みことばの「純粋な、霊の乳を慕い求めれば」成長し、救いを完成すると聖書は約束しています(1ペテロ2:2、2テモテ3:16-17)。成長できないでいるなら、その原因を見つけ、停滞を脱出する必要があります。《人間的努力で挫折を繰り返すのを止めましょう(6:1-2)》
いつまでも成長しない人々に、記者は、「初歩の教えを後にして、共に成熟を目ざそう」と呼びかけます。救いの出発点である「十字架と復活」から離れるよう教えているのではありません。先祖以来の行いに頼る初歩を止めるよう命じているのです。列挙されているのは、ユダヤ人の基礎的な教えや行動でした。神に喜ばれない行いを改め主の教えに従うこと、からだを清潔に保つこと、祝福を祈る式、死後のさばきに備えること、これらの戒めを守ることで義と認められようと努力しましたが、挫折を繰り返してきました。それに対しキリストの救いは、福音を信じて新生し、主を愛し喜ぶ故に、恵みによって実践していくものです。上辺の行動は似ていても、神の前には全く違ったものでした。信仰の告白はしても、行動においては人間の努力に頼っていては、主の力が現れる余地がなかったのです。自分の力で何度努力しても、主に頼り主の力によって行なわなければ、成長できません。《恵みに立って成熟をめざして進みましょう(6:3)》
キリストを信じた者は、恵みをいただいています。主は私たちの成長を願っておられます。だから先に進もう、と記者は私たちを招きます。キリストは信じる者を一新されました(2コリント5:17)。主は私たちの神が味方です(ロマ2:18(ロマ8:31)。主にあって不可能はありません(ピリピ4:13)。ですから、主に信頼して前進し、信仰にあらゆる徳を付け加えていくのです。「だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい・・・」(2ペテロ1:5-8)主の全能の力を知るために主を信じて踏み出しましょう。その時私たちは成長し始めます。失敗も挫折も気に病む必要はありません。主は最善です。