2018年10月7日・・・神の愛は人を変える(石川安義)
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。ヨハネの手紙第一4章9節~10節
私たち人間は、誰もが愛される事を願っています。愛される事によって心に喜びと平安が与えられるからです。全ての人間が愛を必要とするように神によって創造されているからです。私たちは、意識しなくても神の愛によって生かされている現実があります。神の愛を認識し受ける事によって愛に生きることが出来るのです。
《人を愛した神の愛(9)》
私たちがまだ神を知らず、罪の中に生きていた時、神はキリストを全人類の救い主として世に遣わされました。ところが、人々は救い主であるキリストを拒絶し、自らの力に頼り、神の救いの恵みから離れてしまったのです。しかし、キリストは罪人さえも愛し、この世での生活を通して、救いを示し続けて下さいました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」(マタイ9:12)罪の自覚がない所に、人間の愚かさが示されています。自らを深く顧みるならば、神の前に義(正しい)と宣言できる人は一人もおりません。キリストが罪を贖うために神の前に犠牲を支払って下さったのです。罪人を愛する故の尊い犠牲の献げものでした。
《神の愛を受け入れる恵み(10)》
神の深い愛がキリストによって人類に与えられました。ところが、神の愛を自分のこととして受け入れなければ、神の犠牲の愛はその人にとって何の力や奇蹟ももたらさず、生活も変わることはありません。キリストは救いを明確に示すために、多くの人々に関わり、罪を明らかに示すと同時に、信じる者には罪の赦しを与える宣言をされました。つまり、キリストが癒し主である事を信じる時、病は癒され、同時に罪の赦しを与えたのです。(マタイ9:2)それは、肉体的な癒しと同時に霊的救いを明確にしたのです。救いを受けると主の愛のうちに生きる者となるのです。《神の愛は人を変える(11)》
だれでも人間は愛されることによって変えられる存在です。自分の力で自分自身を変えることは出来ません。ところが、神の愛を受けた時から、神に対する愛と人を愛する者へと変えられるのです(1ヨハネ4:12)。雷の子、と言われた使徒ヨハネはイエス様が十字架に釘付けされ、十字架で苦しみ息を引き取るまで間近で見ていた人物です。両手両足に釘を打ち込まれる瞬間を目の前で見る衝撃は、一生忘れる事の出来ない痛みであった事と思われます。後に、ヨハネ自身の贖いの苦しみだったことを知った時、神の愛の深さに応える事が出来ないほどの感動と感謝を覚えたことでしょう。自己中心的だったヨハネは、神の愛を受けて愛の使徒に変えらました。主の愛を受け入れ神に感謝する時、主を信じる者は、愛の人に変えられるのです。これがキリスト者に与えられた主の奇蹟です。