2018年12月9日・・・いのちの犠牲と罪の赦し
律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。ヘブル9:22(15-22)
この箇所は神の契約といのちの犠牲との関係を明らかにします。十字架の死は、私たちの罪の身代りでした。この死は「何を変え」「何をもたらした」のでしょうか。
《新しい契約をもたらすためにキリストは死なれました(:15)》
古い契約は、人が罪ゆえに違反したため、死をもたらしました。しかし御子キリストは、違反とその罰からから私たちを救い出し、永遠の資産を与えると新しい契約を与えられた。この契約は、キリストが死んで罪の贖いがなさる事で、初めて有効になります。キリストはご自身のいのちを犠牲にしてこそ、赦しを資産として受け継がせることができるのです。また、キリストのは約束された通りに三日・・・目によみがえられました(1コリント15:3-5)。キリストの復活は事実であり、それは十字架の救いの証明でした。復活によって、キリストの贖いを父が受け入れられ、キリストはご自身で罪と死に打ち勝たれました。だからこそ罪の赦しと永遠のいのちを与えることができます。こうして、復活は、信じる者が天の永遠の資産を受け継ぐ事の証明となりました(1ペテ1:3-5)。
《キリストの死なしには新しい契約は成立しませんでした(16-17)》
人の間の契約をあらわすことばもありましたが、聖書は神と人との契約について死を伴う一方的な約束をである「遺言」をおもあらわすことばを用いました。神の契約は神が条件を一方的に定め、いのちの犠牲によって有効となります。古い契約は、聖い動物の犠牲により成立し、新しい契約は聖い御子の犠牲により成立したのです(マタイ26:28)。私たち人間はいつ審かれ滅ぼされても仕方がない罪の中にありました。その私たちのために、主はご自身の御子という果てしない犠牲を払って、赦しと一切の恵みを与えて下さいました。私たちは信じて受けるだけです。御子のいのちを犠牲にして、主は法外な恵みを下さいました。新しい契約の内容は、「そんなにしていただいていいのですか」と戸惑うほど私たちに有利な契約です。それを、犠牲を払われた神の方から差し出して下さった、これが十字架の福音です。
《いのちの犠牲なしに罪を聖めることはできません(18-22)》
旧約の律法は教えています。血によって「ほとんどすべてのもの」は聖くされ、神に受け入れられるようになる、と。しかし人の「罪の赦しは」血を振り掛ける事によってでなく、「血を流す」つまり「いのちの犠牲がなければ」成立しないのです(22)。キリストが定めた「主の晩餐」で常に確認する事は、キリストの死による贖いです。旧約の犠牲は、これを予表するものでした。動物の犠牲は人の罪から救えませんでしたが、御子の犠牲は永遠のいのちを与えます。聖徒は主の晩餐にあずかる事を通して、罪の赦しがキリストの死による事を確認し、宣べ伝えるのです(1コリント11:26)。神の祝福と守りの中に歩める救いは、キリストの死によるものです。これが私たちが日・・・々生きる確信であり土台です(2コリント4:10)。