2018年12月16日・・・神を知り心の目が開かれる時石居義生
そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。
民数記22:31(1-31)
ここでは、神を知ることと、神を見る心の目が開かれていることの大切さを見て行きます。
《神を知らない恐ろしさ(1-14)》
イスラエルの民がカナンの地に入る前の出来事でした。イスラエルの親戚民族であるモアブ人は、主からその地を与えられていました。約束の地カナンを目指すイスラエルは、彼らの地を通過するだけでした。しかしモアブの王バラムは、イスラエルがアモリ人たちを打ち破ったうわさを聞き非常に恐れます。神を知らないバラクは、バラムにイスラエルを主の名によって呪うよう要請します。一方バラムも主を知ってはいるものの信じ従っていません。占いは主の忌み嫌われる行為でした。恐れるべきはイスラエルではなく、神を知らない恐ろしさです。
《抑えきれない罪(欲)が人(バラム)を神に対して盲目にさせる(15-31)》
(1)罪から来るよこしまな思い(15-19):神から「行ってはならない。またその民(イスラエル)をのろってはいけない。その民は祝福されている」と告げられたバラムは要請を断わりましたが、再度バラクから呪いの要請があります。対価の条件も待遇も以前にまさると聞いたバラムは欲に負け、邪悪なから再び主にみ旨を求めます。抑えきれない罪から来る欲の強さを知るのです。(2)神を試みること(19-22):バラムは不義の報酬を愛し、何とか自分の思う通りにしたいと、神のみ旨を再び伺います。この神への試みに対して、不思議なことに神は「立って彼らとともに行け」とおっしゃいます。人が神のみ旨を知らされがら、自分の要求が受け入れるまで、再度み旨をうかがうのは明らかな試みです。こんな時、神は人の欲の思いのままにされることがあります。(詩編106:13-15)しかし試みは許されず、その結果は神の怒りを買うことになるのです(マタイ4:7)。(3)心の目が閉じている(23-31):ろばに乗り出発したバラムですが、ろばが「主の使いを見て」三度も道にそれたりうずくまったりします。御使いが見えないバラムは怒って、ろばを杖で打ちました。その時に主は、ろばに彼の罪を語らせ、彼をさばくために剣を抜いた御使いを見させました。バラムはイスラエルを呪うことは止めましたが、今度はモアブに序言してイスラエルを姦淫と偶像礼拝に誘惑しました。彼はその罪のために滅ぼされます。欲の誘惑に心を奪われると心の目は覆われ神を見ることができなくなります。
《主を知る事を求め栄光を見る(エペソ1:17-19)》
私たちの造り主の神を知りましょう。知識だけでなく、イエス様の十字架の救いを信じ真に神のもとに導かれましょう。神と交わり神に従ってこそ、真に神を知ることができます。信仰により神の子とされた私たちは、罪の奴隷から解放され、心の目が開かれ神の栄光を見、祝福の中に生きるのです。