2019年1月20日・・・礼拝、第一の奉仕
しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。ヨハネ4:23(4:19-24)
クリスチャンの最高の奉仕は礼拝だと言われます。なぜ礼拝がそこまで大切なのでしょうか。
《神は私たちの礼拝を求めておられます(23-24)》
イエス様は、神が御霊と真理によって礼拝する人を求めていると教えられました。礼拝の場に新しい方々、まだイエス様を信じておられない方々、そして子どもたちが集われて感謝しています。神はすべての人を愛し祝福しようと願っています。しかし、神の祝福を受けさせなくする罪が人を支配しています。イエス様は罪を取り除いて、私たちが神に喜ばれる礼拝をささげる事ができるために、十字架で私たちの罪のために死なれました。そしてイエス様を信じる信仰によって罪の赦しを与え、私たちが大胆に神のもとに出て祝福をいただけるよう道を開いて下さいました。神の願いは、まずこの救いを受ける事です。そして救いによって私たちは「聖霊と真理によって」礼拝します。かつては、エルサレムだけでしたが、今は各地にできたそれぞれの教会が、礼拝をささげる場所です。神は各自に自分の教会を導いておられそこに留まって学びと訓練を受ける中で成長させ実を結ばせて下さいます。
《礼拝によって神の栄光があらわされます(黙4:11,5:12)》
礼拝とは、ひれ伏し敬い、大切なものを献げる事です。この方を一番大切にし、この方を信じ、喜び、感謝し、従い、仕え、自分を献げる事によって、主のすばらしさが私たちによって証しされます(黙示4:11,5:12)。集う事、礼拝のために備える事、歓迎、祈り、献金、賛美、説教を語り・聞き・応答する、礼拝のプログラムの一つ一つ、そして礼拝を通して私たちが聖く成長し実を結ぶことで、神の栄光をあらわすのです(エレミヤ17:7-8)。
《礼拝は日々の信仰生活の集大成、祝された週の初まりです(ローマ12:1-2)》
礼拝は主の日・・・の午前のひと時だけで終わりません。礼拝するつまり自分を主にささげる私たちに、神に喜ばれる(神にふさわしい)「生きた信仰者である自分」をささげるように勧めました。礼拝はこれまでの各自の人生の集大成としてささげるものだからです。大切な人と久しぶりに会う時、自分がどのように生きてきたかがあらわれます。一切の事を知っている主に会う時はなおのことです。ですから私たちは、日々、主のことを覚えて、主に喜ばれるように毎日を歩みましょう。主に喜ばれるように働き、生活し、関わってゆきましょう。そして主キリストの復活を記念する一週間を、礼拝によって祝福の内に始めます。その積み重ねが、より祝された人格形成と、祝された礼拝の循環となります。
《礼拝は、いつまでも残る奉仕です(黙示22:3-5)》
私たちはやがて地上の生涯を終えて天に召されます。地上のわざは過ぎ去ります。しかし、礼拝は永遠の祝福の中で、いつまでも続きます(黙22:3-5)。