2019年2月3日・・・信じていのちを保つ者です
しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。ヘブル10:39(26-39)
この箇所には、厳しい警告が告げられています(26-31)。これを聞いて、大丈夫だろうかと恐れるかも知れません。しかしここから、困難に会っても揺るがない確信と、過信しない敬虔な恐れを自分のものとしましょう。
《救われた者が、故意に罪に留まる事はありません(26-31)》
真理の知識を受けた(キリストを信じて救われ新しく生まれた)者が、もし「故意に罪を犯し続けたら」もう他に赦しやきよめをいただく道はありません。キリスト以外に救いはないから(使徒4:12)。救いの準備であった「モーセの律法」でさえ、拒否していたら罰は免れません。ましてや最終で唯一の救い主を、もし一旦信じながら否定するなら、人がさばかなくても主なる神がさばきます。しかし、真理の知識を得た者(キリストを信じて救われた者)は、進んで罪に留まることはあり得ません。故意に罪を犯したまま救われる事はあり得ませんし、救われたのならば罪を悔い改めて主に立ち返ったからです。神との結びつきが壊れている状態が罪ですから、救い主を拒んだまま和解する事は有り得ないからです。そして救われた者は、新しく生まれており、生き方が変わっています。救いはあいまいなものではありません(1ヨハネ2:12-13)。信じて救われて自分にどんな変化が起きたか聖書によって確かめましょう(2コリント5:17,ヨハネ5:24,1ヨハネ3:6,9)。新しく造られた者は、罪の性質に戻る事はありません。だから、キリストを信じた者は、この警告を聞いても何も恐れる必要はないのです。恐しいと感じる方は、キリストを信じて救われて下さい。キリストだけが、罪から救って下さる方であり、キリストを信じる者誰でも救われます。《救いと報いの確信をもって歩みましょう(32-39)》
記者は、信じた初めの日・・・々を思い起こしなさいと告げます。救いを教えられた時、多くの困難があってもキリストを信じ、聖徒の群れに加わりました。生きる目標が変えられたことを、周囲が理解できずに反対しましたが、それでも喜んでキリストを証しました。仲間外れにされたり非難や、からかいを受けました。また、同じ困難にある兄姉のために祈り、励まし、助けてきたのではありませんか、と。この書が記されたのは、迫害が厳しくなった時代でした。クリスチャンだという事で投獄されたり、財産が没収されましたが、救いの喜びが大きかったので喜んで忍びました。信仰には、大きな報いが用意されていると主も教えられました(マタイ5:11-12)。聖徒の困難は今も続いていますが、頂いた救いは揺ぎません(ヨハネ6:37、ローマ11:29)。主は、忠実な者に報いて下います。ハバクク2:3-4を引用した37-29節は、主の約束を信じる忠実さは、報いられると告げています。パウロも、忠実な聖徒すべてに「主が義の栄冠を授けてくれる」と書き送っています(2テモテ4:7-8)。