2019年2月24日・・・信仰なしには神に喜ばれない
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。ヘブル11:6(4-6)
手紙は、ここから信仰の勇者たちの証しが列挙します。アベル、エノク、ノアがどのようにして、すばらしい信仰の証しを残したのかを共に見てゆきましょう。
《信仰者はすばらしい遺産を残しました(4,5,7)》
アベルは、主に喜ばれるいけにえによって主に受け入れられる事を証しし続けています(4節,創世記4章)。カインとアベルはそれぞれ主にささげましたが、神はアベルのささげものだけに目を留めました。主はカインの罪を指摘し悔い改めを求めますが、彼は主の制止を聞かずアベルを憎んで殺してしまいます。しかしアベルはすぐれたいけにえを神に献げたことが証明され「その信仰によって今もなお語ってい」ます。エノクは神と共に歩み、生きて天に移されました(5節,創世記5:24)。天国の約束がはっきりしていない時代にあって、神が信じる者を天国に入れて下さることの証拠とされました。ノアは、主のことばに従い箱舟を建造し、主に従う信仰を身をもって証ししました。信仰によって洪水のさばきから救われ、信仰による救いを受け継いで後世に伝える者とされました(2ペテロ2:5)。
《信仰なしに神に喜ばれる事はできません(6a)》
不信仰は神に喜ばれません。神は私たちと世界を造り、日・・・々支えて下さる方です。人類の反逆にもかかわらず、愛と忍耐と真実を尽くしておられます。不信仰は、神に、信頼に価しない、価値がないと宣告する事です。喜ばれないどころか怒りとさばきを受けるのた当然の態度です。その反対に、神を信じることは、何より神が願っておられ、喜ばれる事です。神を信じるという事は、神が信頼を裏切らない真実なお方であり、困難があっても従う価値のあるお方であり、困難にあっても見捨てずに守って下さる力あるお方だ、と告白しているのです。特に、信頼が苦しみによって試みられる時なお信じ続ける事は、神に大きな喜びをもたらします。アブラハムは「望み得ない時に望みを抱いて信じ」、神に喜ばれました(ローマ4:18)。
《神に近づくには、神の実在と真実を信じる事が必要です(6b)》
神はいないと考えていたら、いつまでも神を見出せず、見ても認められません。また神に近づくには、神が求める者にご自身を示される事を信じ受け入れなければなりません。自分の神観に合えば認めるという、神よりも自分を上に置く態度では神に近付けません。それは粘土が陶器師に注文を付けるようなものです。しかし、神が真実なお方だと信頼して求めるならば、神は答え、聖書は真理を明らかにします。ます聖書と聖書のメッセージを、信頼し、条件をつけずに聞いてみてください。主は信仰をもって呼び求める者に近くあり、答えてご自身をあらわして下さいます(エレミヤ2:1l,33:3)。