2019年3月24日・・・一つになって栄光を映し出す 石居義生
またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。ヨハネ17:22(1-26)
ヨハネ17章は新約聖書の中で一番長いキリストの祈りが記されています。この祈りの中に、キリストが私たちにくださった憐れみと愛、そして大祭司としてのお働き、そして私たちに示してくださったご栄光を見ることができます。また、救われた私たちが、何をすべきか祈られます。ともにこの祈りを確認してゆきましょう。
《イエス様の祈りに見る人に対する惜しみないご愛と大祭司としての姿》
イエス様は十字架に付かれる直前、弟子たちに最後の教えをした後、「父よ、時がきました(17:1)。」と父なる神に祈りを始められます。ご自分が人の贖いのために、十字架に付く時が近づいたことを知ってのことですが、ご自分の心配ではなく、残される弟子たちのため愛に満ちたとりなしの祈りを捧げられます。十字架の時とはイエス様がすべての人を支配する王としての権威を持つ時でもあり(17:2)、人類の救いが実現する時、旧約の預言が成就する時でもあります(イザヤ53:10)。そして、「彼らをお守りください(17:11、15)、」と弟子たちのことを祈ると同時に、この弟子たちの宣教によって信仰を持った人、すなわちイエス様を信じたすべての人類のとりなしをされます。この祈りはまさに大祭司としてのイエス様の祈りに他なりません。
《あなたが下さった栄光、そして彼らに与えた栄光とは》
イエス様は三年程の公生涯の間に数々の奇跡を含む、教え、癒し、諭(さとし)を通し、私たちに聖さ、知恵、謙遜、真実、自己犠牲という主のご栄光を示してくださいました。人は神を直接見ることはできませんが(ヨハネ1:18)、イエス様から啓示をいただくことにより神を知ることができるのです。イエス様を信じる信仰により、ご聖霊が働き、その助けにより主のご栄光を知ることができるのです。神に選ばれたイスラエルの民でも、罪の結果として、自分本位の信仰、イエス様を受け入れない不信仰のために心を頑なにされ、主のご栄光を目で見ることも、心で理解することもできないようにされてしまいました(イザヤ6:10)。神の栄光を見るためには福音によりイエス様を信じ、本当の神を知る必要があるのです。
《一つになる》
しばしば、人の成功の喜びの中心は「私」であり、「神様」はわき役です。成功の後にすぐ次の心配、場合によっては人の妬みすらかいます(Ⅰコリント1:29-31)。これは栄光の見えない成功です。一方、み言葉を求め、祈りに支えられた成功は神の祝福に満ち感謝にあふれた喜びが人の心にわいてくるものです。周りの人々もその祝福の輪に加わりともに喜ぶ、神のみわざが中心となる喜びこそが、栄光の現れです。神のご栄光のあるところには信仰の兄弟姉妹の集まりがあります。また兄弟姉妹の集まりのあるところには神のご栄光があります。イエス様は私たちが「一つ」になるよう繰り返し祈られます。主に在る兄弟姉妹が一つになり、主の栄光を全身で受ける時、鏡のように主の栄光を映すのです(Ⅱコリント3:18)。「神のご栄光」を既に知る私たちは、「一つ」になり、「神のご栄光」を映しだし豊かに輝かせてゆきましょう。