2019年4月7日・・・約束の子を神に献げたアブラハム
信仰によって、アブラハムは試みを受けたときにイサクを献げました。約束を受けていた彼が、自分のただひとりの子を献げようとしたのです。
ヘブル11:17(17-19)
アブラハムの信仰生涯のクライマックスである約束の子イサクをささげた彼の信仰を通して、信仰者の祝福と勝利と幸いの道を確かめましょう。
《厳しい試練、約束の子を犠牲にせよとの命令(17)》
愛して止まない息子を主よりも大切にしてしまっていないか、彼は主から試されました(創22:1-2)。子どもを愛する事はもちろん大切な事です。しかし主よりも大切にするなら、それも偶像になり、主との結びつきを壊す偶像になってしまいます。主の約束は、自分の子孫が空の星のように増え、今が寄留している地を所有し、子孫によって全ての国民が祝福を受ける事でした。主はその子が自分に与えられた祝福を継承する息子だと告げた事は間違いありません。アブラハムは、約束の地を出てから30数年間(おそらく110歳ぐらい)これまで苦労して得た者を犠牲にして、一からやり直せとの命令です。私たちは何か主を二の次にしてしまうものがあるでしょうか。主は私たちにも試練を与えます。それは主以外のものを第一にする罪を聖め、祝福を与えるためです。
《アブラハムは信仰によって約束の子イサクを犠牲として献げた(17-19a)》
彼はこの事を告げずに翌朝若者二人とイサクを連れて出発し、主が告げたモリヤの山に向かいます。彼の沈黙と従順は、この試練の意味を悟っていた事を示しています。山までまだ遠い所で、若者たちにこう告げました。「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と(創22:5)。彼は創21:12の約束「イサクにあって、あなたの子孫が起こされる」を下さった主を堅く信じていました。それ故に主の苛酷な命令に従いました。その時の彼の確信をこの書は証しします、「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました」(19a)と。彼は、主の約束はどんな困難があっても成就することを学んできました。
《アブラハムは信仰によって約束の子イサクを犠牲を取り戻した(19b)》
アブラハムが祭壇を築き、たきぎを並べ、イサクを縛って屠ろうとした時、主は声をかけ彼を止めました(創22:11-14)。主の命令は、アブラハムの主を第一にする信仰を証明するためのものでした。彼は信仰においてイサクを全焼のいけにえとして献げました。主は、彼の従順と信仰が証明される事で満足し、イサクの代わりに、やぶに角を引っかけた雄羊を与えました。この雄羊は、神の子羊である救い主キリストの予表でした(1ヨハネ2:2)。主は弟子たちに繰り返し教えました。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。・・・自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです」(マタイ10:37-39)。