2019年4月14日・・・息子たちを祝福したイサクへの恵み
信仰によって、イサクはやがて起こることについて、ヤコブとエサウを祝福しました。(ヘブル11:20)
聖書の祝福は、幸せを願うだけでなく、主の御計画を告げ、それが実現するように祈る事でした。主の御計画の確かさを信じす信仰の証しでした。今朝の箇所である短かい一文に、どんな主のご計画と、それを祈る信仰者の信仰が込められていたか、共に見てゆきましょう。
《イサクと双子の息子ヤコブとエサウの関わり(創世25:20-28)》
アブラハムの約束の子イサクは、自分を犠牲にしようとする父にも従う信頼と献身、敵の迫害に屈せず勝利した平和と忍耐の信仰者でした。彼は40歳で、父の親族である同信の娘リベカと結ばれます(創世25:20)。子どもに仲々恵まれず、祈って60歳の時に双子が与えられます。産み月が近付いた時にリベカの胎内で双子が争い、祈るリベカに、弟の子孫が優るようになるとの主のみこころが示されました(創世25:21-23)。双子がそれぞれエサウ(赤く毛深い)、ヤコブ(押し退ける)と名付けられました(創世25:25-26)。エサウは狩人・野の人、ヤコブは穏やかで内向的な息子でした(創世25:27-28)。そして父はエサウと愛し、母はヤコブを愛しました。
《父母は張り合いますが、主のみこころが成ります(創世27章)》
イサクとリベカは、ひいきの息子を守ろうと対立します。イサクは長男エサウを祝そうと、獲物でおいしい料理を作って食べさせるように命じます。リベカは、これを聞きつけてヤコブに入れ知恵し、兄と偽って父の祝福を横取りさせます。母はヤコブに羊を取って来させ、おいしい料理を作ります。目の見えない夫がヤコブだと気付かないように、エサウの服を着せ、エサウの毛深さを偽装させます。こうしてヤコブは父のもとに料理を持って行き、ごまかし通して祝福を受けます。エサウが獲物を仕留め料理して父のもとに行きますが、既にヤコブを祝福した後でした。それは主から出た事であり、エサウには主の祝福が相続されない事を宣言します。私たちも、歩みにおいて主の御計画だけが成ることを認めましょう。それは、主の最善の計画です(箴言19:21,エレミヤ29:11)。
《イサクはみこころに従う信仰を学んで二人の息子を祝福しました(創世28章)》
エサウは怒ってヤコブを殺そうとしますが、彼は長子の権利、主の祝福を軽んじ放棄していました。妻も自分も偶像を拝むエサウの妻に悩まされていました。夫婦は一致してヤコブを妻の実家に送り出しました。エサウの敵意からヤコブを守り、同じ主を信じる親族の娘と結婚させるためでした。イサクはヤコブを祝福して送り出しました。エサウも少しは改めました。彼は先に繁栄し十数年後ヤコブが帰って来た時和解できました。ヤコブは苦難を受けますが子孫に主の祝福を残します。遥か後に、主が告げた通り、ヤコブの子孫はエサウの子孫を支配するようになります。信仰によって息子たちを祝福したイサクの信仰は、このように主の導きの中で砕かれ培われた信仰でした。私たちの祝福も、主が救い、忍耐をもって導いて下さった結果です。使徒パウロが自分を模範にと証しするのも同じです(1テモテ1:12-17)。