2019年4月21日・・・十字架と復活による朽ちない希望
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。ローマ4:25(4:25-5:11)私たちの世界は、信じる事によって成り立っていますが、信頼し切れない現実に苦しみます。本当は頼りにならない自分や世界だからこそ、本当に失望させられない「信仰」が必要です。
私たちは「世界を創造し、信じる私を決して失望さない」神を信じる時に、揺るがない平安と希望をもって、毎日・・・を生きることができます。十字架と復活が約束している信仰こそ確かな信仰です。十字架と復活がなぜそのような確信と希望をもたらすのでしょうか。
《第一に、罪が赦されます(3:23-24,5:6-11)》
最大の問題は罪です。正しいと分かっていても行なえず、悪いと分かっていても止められない、これは私たちの持つ罪の性質のためです。罪の根本には「自己中心」があり、最善である神のみこころに従えません。不安を拭おうと、自分のイメージ、周囲、問題、つらさを、自分でコントロールし解決しようとしても、手に負えません。こうして人や自分を傷付け、神に逆らい、さばきをもたらしています。これが最初の人類が犯し、私たちが受け継いでしまっている罪です。御子キリストは私たちの罪を負って身代りに死なれ、復活されました(4:25)。そしてご自身を信じるだけで一切の罪を赦すと約束されました(5:6-11,8:1)。《義と認められ、義とされます(5:1)》
「義」とは正しい幸いな関係にある事です。聖い神は悪を見逃せませんが、ただキリストの身代りの犠牲のゆえに罪を罰せず、信じる者を罪のない者として受け入れて下さいます。神はキリストを信じた者に永遠のいのち(キリストのいのち)を与え、生れ変わらせました。キリストを信じた者は、罪に死んで神によって生まれ、日・・・々聖く新しくされていきます(1コリント5:18,ガラテヤ2:19-20)。「永遠のいのち」とは、キリストに結びつき、キリストと共に永遠に歩む者とされる事です。その結果、クリスチャンはキリストといのち、心、関わり、力、愛を共有し、キリストに似てゆきます。義と認められるのに相応わしい者に完成していくのです。