2019年5月26日・・・民をエジプトから救った信仰
信仰によって、人々は乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡りました。エジプト人たちは同じことをしようとしましたが、水に吞み込まれてしまいました。ヘブル11:29(28-29)
信仰を通して働かれた主の救いの御業を共に確かめましょう。
《主の召しに従いモーセはエジプトに戻ります》
シナイ半島の南にある神の山ホレブで、モーセは主の召しを受け、立ち上がりました。そして兄アロンと共に、民に主の解放を伝えました。二人はファラオに主のことばを伝えますが、ファラオは拒みます。奇蹟を目にしても主を認めません。主は頑ななファラオとエジプトを10の災いをもって懲らしめました。ナイルの水を血に変え、かえる、ぶよ、あぶ、疫病、腫物、雹、いなご、暗闇と、エジプトが頼りにし拝んでいたものを主は次々に打ちました(出8〜10章)。イスラエルは無事で、災いはエジプトにだけ臨み、頑ななファラオも追い詰められます。主は、人が主以外に頼りにしているものを打ち砕かれます。心を頑なにしてはなりません。
《信仰によって審きを過越させ、エジプトを脱出しました(28)》
10番目・最後の災いは、エジプトのすべての初子を殺すさばきでした(11章)。主は、このさばきにより、ファラオがついに降参し、イスラエルを解放すると告げました。それはモーセが山で主の召しを受けた時、主が彼に告げた通りでした(出4:21-23)。主は長子を打つ審きがイスラエルに及ばないよう、モーセを通して民に過越のささげ物をささげ、門柱と鴨居に血を塗るよう命じました(出12:5-8)。その夜エジプトの全ての初子が打たれ、ファラオはついにイスラエルを解放します。主のさばきから逃れさせる過越の子羊は、私たちを罪から救う救い主の予表でした。イスラエルも含め全ての人が、神のさばきに価する罪人です。しかし、主のことばを聞いて信じ、主の用意された逃れの道に従う者は、さばきを逃れていのちを得ます。すべての人が罪から救われるために、神は御自身のひとり子を私たちのために犠牲にして下さいました。今主が私たちに求めるのは、イエス・キリストが自分の罪のために死んでよみがえって下さった事を信じるだけです。聖書は「御子を信じる者はさばかれない」(ヨハネ3:18)と約束しています。
《信仰によって紅海を歩いて渡りました(29)》
ファラオはイスラエルを連れ戻そうと追跡し紅海の手前に追い詰めます。民は恐れつぶやきましたが、モーセは主の救いを見よ、と告げる。主はイスラエルの背後に回り、エジプト軍の進路を塞ぎました。モーセが紅海に杖を指し出すと、主は紅海を分けて脱出の道を作り、民は乾いた海底を渡ります。主は試練と共に脱出の道を備えて下さいます(1コリ10:13)。主を信じるイスラエルは渡り終えましたが、信仰のないまま渡ろうとしたエジプト軍は、海に沈みました。これも救いの予形です。キリストは死と復活によって救いの道、天国への道を切り開きました。キリスト者も死を迎えます。しかしキリストが死んでよみがえったように、死ぬがよみがえります(1コリ15:20-22)。キリストが通り切り開いた道を、信仰によって進む事ができるのです。救いの道は、信仰抜きに通る事はできせん。キリストは言われました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ11:25,14:6)。