2019年7月7日・・・信頼の回復〜失ったものを再び得るために 上山要
家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。詩篇118:22-23家を建てる者が不必要だと思って捨てた石が、実は家を建てるためには不可欠な土台(礎)であった......これは人間の知恵や思いとは異なる神の御計画とその御業の不思議さと偉大さを示す聖書のおことばです。そしてこの「捨てられた石」こそ、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられたイエス・キリストです(使徒4:11)。その捨てられた状態は、十字架の壮絶な悲惨さが示している通りです。しかしここまで否定され、あざけられ、殺されかけている中で、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と父なる神に祈りました(ルカ23:34)。自分を憎み、殺そうとしている者のために赦しを願う祈りをささげられたのです。するとその祈りを最も近くで聞いていた犯罪人の一人が自分の罪を悟り、イエスを神と認めて救いを求めました。最初はイエスを罵っていた十字架上の犯罪人でした。彼もまた自らの罪ゆえではありましたが、親からも世間からも「捨てられた石」でした。しかし心から悔い改めた犯罪人は、イエスによって罪の赦しと救いの宣言を受けました。人生の最後の最後に神との信頼を回復し、永遠のいのちの約束と天国の希望(礎)を得たのです。
先週、興味深いテレビ番組を見ました。それは所沢にある産業廃棄物処理工場のまさに「信頼の回復」についてのドキュメンタリー番組でした。この産廃業者は20年前に起こった公害問題で、近隣の農家と地域住民から撤退を求められ、その関係は完全に対立していきました。周りの業者がどんどん立ち退く中で、この社長(親から社長を引き継いだ二代目の女性社長)は信頼の回復に向けて立ち上がりました。まず煙突のある焼却炉を撤去します。それは数年前に15億円かけて建設したばかりの新型の設備でした。そして代わりに巨大な屋内型リサイクルプラント建設の計画を立てます。しかし地域住民からの反対を受けている業者の計画を行政はなかなか建設許可を出しませんでした。それでも彼女が諦めなかった理由は、この働きの大切さを知ってほしいという使命感と自らが「ゴミ屋の娘」と呼ばれた経験から、そのマイナスのイメージを払拭したいという切なる願いでした。彼女と会社はさらなる行動に出ます。それは自分たちの職種を生かした地域清掃でした。近隣に不法投棄されたゴミを回収し、隣接する里山(かつての風景)の復元活動を地道に続けます。この働きが2年経った後、段々と地域住民も参加するようになり、ついにこの会社と住民が一緒になってゴミ山を里山へと回復させていきました。新しく建築されたプラントの隣に、人々が憩い、蛍が舞い、ヤマユリの咲く里山が共存する・・・それはまさに信頼の回復の証でした。神との関係においても、人との関係においても信頼の回復には決断と行動が重要です。そしてそこに「赦された経験」が伴う時、信頼関係は成立するのです。
「『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。ルカ15:18-20」