2019年7月14日・・・イエスを見続けよう
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。ヘブル12:2(1-3)
生き生きとした信仰を保ち、元気に主に仕え続けることができるために、私たちに何が必要であるかを、この箇所から確かめましょう。
《重荷と罪を捨てて前進することです(1b)》
信仰の歩みは長距離走です。余計なものを抱えていては走り抜けません。この世の欲や思いわずらい(ルカ8:7,14)や、罪に支配された古い自分(ローマ6:11-13)を捨てるのです。サタンは、すでに解放されたはずの罪に、なお囚われているかのように、私たちを思い込ませようと、脅し誘惑します。また長距離走は、走るのをやめてしまいたいと思う苦しみの中で、走り抜かなければならない競技です。苦しいのは、長距離走ならば、当然のことです。しかし、主の教えに従って走り続けるならば、必ず走り抜いてゴールすることができる。主を信じて走り続けましょう。主が共にくびきを負い、励まし導いて下さいます。
《多くの信仰の証人たちに取り巻かれて共に走っています(1a)》
アベル、エノク、ノア、アブラハム夫婦、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ラハブ、士師たち、ダビデ、預言者・・・私たちの憧れるすばらしい信仰者たちが、共にゴールを目指しています(11:4-40)。彼らは、「証人」(=殉教者)です。苦しみを忍耐し、信仰を最後まで捨てずに守り抜いた彼らが、私たちを見つめています。彼らはまだ「約束されたもの」(完成する神の御国)を得ておらず、私たちと共にゴールを目指しています。それは、駅伝で自分の区間を走り終えた選手たちが、今走っている選手たちを見守っている光景のようです。みことばによって、彼らのあかしを確かめ、励みとしましょう(1コリ10:13)。また教会の兄姉と共に励まし合って進みましょう(10:25)。
《キリストを見続ける時に、疲れ果ててしまうことはない(2-3)》
弱気や迷い、疲れに襲われる事があります。しかしどんな時にも私たちを強める方がおられます。信仰の創始者であり、完成者である主イエス様です(ヨハネ14:6)。主は、土台・道・目標です。私たちの罪のために死なれ、三日・・・目によみがえって下さった救いの土台です。十字架によって私たちは、全ての罪を赦され罪から解放されています。キリストは苦しみの先の喜びを見て喜んで十字架の苦しみを忍び、約束の通り高く挙げられました(:3)。キリストは、ご自身のもとに来る者を捨てません(ヨハネ6:37)。私たちの目標は、キリストの身丈にまで達することです(ピリピ3:10-11)。この目標を、主は必ず完成して下さいます。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。」(ピリ3:12)。勇気と力は、キリストから与えられます。信仰生活を全うすることは、楽なことではありませんが、主から目を離さないでいましょう。必ず、試練と共に脱出の道が備えられ、最後まで走り抜くことができます。