2019年7月21日・・・信仰の創始者・完成者であるキリスト
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。ヘブル12:2(2-3)
聖書において「信仰」とは、信頼して委ね従う事と同時に、信じる内容も含んでいます。その内容は、イエス・キリストを神の御子・私の罪のために十字架で死なれよみがえられた救い主である事を信じるなら、キリストがその人の罪を赦し、永遠のいのちを与え、神の子どもとする、事です。これを福音と言います。この信仰の確かさは、この約束を与えたキリストの真実と権威にかかっています。
《キリストは信仰の創始者》
キリストは信仰の源です。人間の創造の目的は、人をキリストにあって御自分の子どもとして祝福する事です(エペソ1:3-5)。人類が罪を犯した時、いのちを賭して人を罪から救う女の子孫が与えられると主は約束されました(創世記3:15)。この約束の準備の歴史が、旧約聖書に記されている歴史です。キリストは、十字架によって信仰をもたらしました。キリストは全人類の罪の身代わりに十字架で死んで赦しを与えられました。この犠牲によって、人類は恐れずに神に立ち返る事ができるようになりました。また死からよみがえり永遠に生きておられるキリストがとりなして下さいます。イエス様を信じる時、私たちが罪に勝利できるよう新しく生まれさせて下さるので、私たちは神との信頼関係を築くことができます。
《キリストは信仰の完成者》
御子キリストは、一切の権威を父から委ねられています。「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました」(ヨハネ5:22)。この方は、約束の通り三日・・・目に死者の中からよみがえり、罪と死に勝利されました(ローマ6:9)。復活されたキリストは永遠に生きて、私たちを救い、守り、とりなしておられます(ヘブル7:25)。キリストは神の御座の右に着座し、約束の聖霊を送られました(ヨハネ14:16,16:7、使徒1:8,2:33)。世の終りまで弟子たちと共におられます(マタイ28:20)。天の住まいを用意してか、聖徒を迎えに来ます(ヨハネ14:2-3)。そして、終わりの審きを行ない天国を完成し、救いが完成します(黙示21:1-4)。
《キリストは見捨てず支えて下さる》
キリストは御自身への激しい反抗を忍ばれました。キリストは愛と忍耐をもって弟子たち愛し、導きました。御自身を否むペテロ、裏切るユダを友と呼び、十字架にかける人々のためとりなしました。教会を迫害するサウロに現れ声をかけました。またキリストは、辱めをものともせずに十字架を忍びました。十字架は最も苦しい事でしたが、私たちを愛する故に、辱め・苦しみを喜びとされました。私たちが救われる事が、御自身にとって一番大切な喜びであったからです。人類が成した最も甚しい罪を受けながら、主は、御自身のいのちを敵である彼らのために犠牲にされた。救いに導く「聖霊に逆らって」、救いを意図的に最後まで拒む罪以外は、どんな罪をも赦していただけます。そしてどんな試練の中にあっても共に歩み、支えて下さいます。この方の事をいつも覚えているならば、失望する事はありません。