2019年7月28日・・・父として子どもを訓練する神
肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。ヘブル12:10(4-11)
主が私たちを苦難に遭わせるのは、私たちを見捨てたからではなく、私たちを愛しておられる証拠である事を、共に確かめましょう。
《主は愛する者に痛い訓練を与える(4-6)》
「信仰の創始者であり完成者である」キリストは、主に逆う者たちの敵意を忍耐し、死の苦しみを経験されました。また11章にあるように、信仰の英雄の多くも、同じ体験をしました。しかし手紙の読者たちは、救われて間も無い頃は苦難を喜んで忍びましたが、熱心が冷め迫害が厳しくなると、苦しみに意気消沈していました。それは主の「励ましのことば」を忘れていたためでした。記者は5-6節に箴言3:11-12を引用し、主は父として愛する子を叱ると告げます。キリストも弟子たちに苦難がある事を告げ、それは幸いだと保証しました(マタイ5:10-12)、パウロも(ピリピ1:30)、ペテロも(1ペテ2:21)それが主の御計画である事を証ししました。苦難は、キリストの通られ勝利された道です。これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)。
《それは父がわが子を訓練するのと同じ(7-8)》
苦しみは、主が与えられた訓練です。神の御子でさえ、苦しみにおって従順を学ばれました(5:8-10)。それならば、私たちが従順を学ぶために苦しみが必要なのは、なおのことです。もし親が「すべての子が受けている訓練」を与えていなかったら、健全な親子関係ではありません(箴言13:24)。主に逆らって懲らしめを受けたのなら当然のことですし、これも恵みです。しかし誠実に仕えているのに苦しみに遭っているのならば、それは「救いの証拠、神に愛されている証拠」です。ですから義のために苦しむ聖徒を、主は幸いである、喜びなさい、と教えられました(マタイ5:10-12)。
《聖徒は、肉の父に従う以上に霊の父に服従して生きるべき(9-11)》
地上の父親は良かれと思って訓練しますが間違いもあります。それでも子どもは親を尊敬し従っています。クリスチャンは「あなたの父と母を敬え、主にあって両親に従いなさい」(エペソ6:1-2)を、実践しようと努めています。「それなら、なおのこと、私たちは霊の父(=キリストの父なる神)に服従して生きるべき」(9)です。肉の親が子にむちを加えるのは3歳ぐらいまで、子どもを叱るのは、成人するまで、でしょう。しかし霊の父の訓練は一生続きます。主はそれによって私たちを鍛え、「義という平安の実」(11)を結ばせます。私たちは、何歳になっても主の訓練が必要、苦難を経験する中で従順を学び続けましょう。聖書は、私たちが完成し、御国に入るにふさわしくされるために苦しみが必要だと教えます(使徒14:22)。それは幸いです(詩篇119:67,71)。苦しみが忍耐を、そして希望を生み出し、救いを証明し、完成するのです(2テサロニケ1:4-5)。