2019年8月18日・・・恐れでなく祝福が待っている
しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。ヘブル12:22-24(18-24)
主キリストが実現した新しい契約が、旧約の律法の契約に比べて、どんなに喜ばしい祝福であるかを確かめましょう。
《主ご自身を見ることができる(18-19a)》
モーセによってイスラエルが神の民となる契約を結んだ時、民は神の山で、「燃える火、黒雲、暗闇、嵐、ラッパの響きととどろき」に近付きました(申命:10-13,出エ19:9-13)。それは、地上にあるもので示された神の臨在のしるしでしたが、神ご自身の姿は見ることができませんでした。聖い神のありのままを見るならば、罪ある者は滅びてしまうからです。しかしキリストによる新しい契約(救い)は、神と顔と顔を合わせて会う事ができます。なぜなら、御子キリストの十字架の犠牲が、信じる人の罪を完全に聖めたからです。キリストを信じる者は、やがて天国で、神と顔と顔を合わせて見ることができます(1コリ13:12、黙示21:3-4)。。
《恐れなく神に近付ける(19b-21)》
主が栄光の姿をもって降りて来た時、主が近づくよう招いても、民は恐れ、モーセだけが神に近づくよう懇願しました。そのモーセでさえ怖くて震えたとあります。しかし、キリストによって罪が聖められた者は、大胆に神の御座に近付くことができます(4:16,10:19)。キリストが私たちの罪をすべて、十字架の犠牲によって負って下さり、キリストの血が、罪を完全にきよめたからです。キリストを信じた者は「罪に定められることがない」のです(ローマ8:1)。終りのさばきの時に、神は私たちのすべての行ないを明らかにして、さばきます。罪を犯さなかった者は一人もいません。しかし、過去・現在・未来のすべての罪を、キリストは十字架によって償って下さいました。キリストを信じた者は、神から罪を問われず、愛する御子キリストの友、同士、家族として迎えられます。
《神と一心同体とされる祝福に預かる(22-24)》
冒頭の聖句が、信じる者に約束されている天国の祝福です。終りの日・・・にすべての教会が天で一つに集められ、キリストの花嫁として整えられます。このために花婿キリストは御自身のいのちを犠牲にされました。これが結婚の証しする奥義です(エペソ5:25-27、黙示21:1-2)。無数の御使いが喜んで集います。教会の各自はみな天国の相続者とされています(エペソ1:22)。万物のさばき主である神、完全とされた「義人たちの霊」(聖徒の完成された姿)、新しい契約の仲介者イエス」、私たちを贖った「イエスの血」こそ土台です。「見よ。神の幕屋が人と共にある・・・」(黙示21:3-5)、一切の痛み苦しみが過ぎ去り、永遠の幸いの中に共に生きる祝福が天国において完成します。主は、私たちすべてがキリストを信じて、この救いに与ってほしいと願っておられます。