2019年8月25日・・・神に喜ばれる礼拝をささげよ
このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。ヘブル12:28(25-29)
キリストがモーセにまさる最終の救い主であることを書き送ったこの手紙の結論部分です。主キリストに対し私たちはどう応えるのかを共に確かめましょう。
《ヘブル書全体の教えの復習》
キリストは神の御子であり最高の権威を持っておられる方です。神であるのに人となって私たちのところに来られ、罪を示しても聖めることができない律法に代わって、十字架の犠牲によって、私たちを神に受け入れられる者としました。
この救いの恵みは信仰を通して与えられます(11:1,6)。その証拠として、記者は多くの信仰の先輩たちの証しを示して、信仰によって神の約束の祝福をいただくことを証明しました。また信仰の道は苦難がありますが、神は試練の中で信じ続けた者に豊かに報いを下さることを伝えます。
そしてこの12章において記者は、信仰の道を歩むように勧めます。キリストから目を話さず、信仰の道を走り抜こう(1-2)、神は私たちを子として訓練されるから試練に耐えて進もう(10-11)、弱った足をまっすぐにして立ち上がり一歩一歩前進しよう(12-13)、また不平や疑いの「苦い根」を除き、平和と聖さを追求しよう(22-23)、と信仰者を励まします。そして結論としてこう訓戒します。
《救い主を拒んではなりません(25-27)》
モーセの契約を破った人々に、主は預言者たちを通して何度も警告を与えました。それでも従わない民は審かれたのです。ましてや、神ご自身が天から来られて、語った福音を拒み続けるなら、主を拒んだ罪の罰を逃れられません(ヨハネ3:16-18)。旧約の戒めはキリストを信じるための準備でした。そしてキリストの救いは本番です。キリストを信じるかどうかで、永遠が決定します。神を拒んだまま恵みを失うか、神の遣わされた救い主を信じて完全な恵みをいただくかです。神は、キリストによってすべての人に、罪の赦しと永遠のいのちを差し出されました。御子の身代りの十字架が赦しの代価であり、御子の復活が永遠のいのちの力です。神はこれを、信仰を通してすべての人が持つようにして下さいました。どんなに罪深くても信じるだけで救われます。救いを受け損う理由はただ一つ、救いを拒む事です。また、この方以外に救いはありません(使徒4:12)。
《信じた者は、主に喜ばれる礼拝をささげましょう(28-29)》
キリストを信じた者は「揺り動かされない御国を受けます。キリストが完成される天国は永遠に続き、滅びることがありません(ルカ1:22,ヨハ10:28)。救われた者は、心からの礼拝を主にささげましょう(ローマ12:1-2)。なぜなら、神は私たちの礼拝を求めておられます。私たちは礼拝を通して、神に感謝し祝福と教えをいただき、恵みに満たされ成長します。礼拝こそ、私たちが神の栄光をあらわす最高の場所です。神は限りなく愛深く、慈みに富んだお方であると同時に、聖いお方です。罪ある者が神に近づくなら焼き尽くされてしまいます。私たちは今、地上の生涯において、永遠を決定する決断をしなければなりません。