2019年9月8日・・・恐れずに善を行なえ
ですから、私たちは確信をもって言います。「主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。」ヘブル13:6(4-6)
生き方を通してキリストが真理であることを証明する勧めの後半を共に見てゆきましょう。
《結婚を尊ぶ(4)》
結婚は、人類の祝福のために神が人類に最初に与えられた最も基本的な社会制度です。結婚は、愛と信頼と尊敬と従順の関わりをもってキリストと教会との関係をあらわすものです。この幸いな結びつきの中で、人は成長し、社会は発展していきます。当人たちも周囲も結婚の絆を重んじる、これが結婚を尊ぶことです。結婚する二人が幸いなスタートを切り、祝された家庭を築けるように、周囲の方々は二人を見守り協力します。結婚した二人は、祝福してくれたみなが喜ぶような幸いな家庭を築くことを主にあって目指します。幸いな家庭は、自分たちだけでなく、主の祝福と周囲の協力があってこそ築かれます。結婚を定め祝福された神が、結婚を尊び、姦淫(裏切り)、不品行(主の定められた性の幸いな用い方から外れる)を避けるよう命じています。それは私たちの幸せを守るためです。
《与えられたもので満足する(5)》
金銭は、本来人の労苦を分け合い支え合って社会を豊かにするためのものです。自分の要望のために富を追求するなら、貪欲に支配されて身を滅ぼすことになります。貪りはあらゆる悪の根だと聖書は教えています(1テモテ6:10)。貪欲は偶像礼拝です(コロサイ3:5)。必要を満たす神を捨て、欲望を神としてしまっているからです。欲望を克服する事は人にはできません。ささやかな楽しみしか与えられないのは、欲望に支配されないための主の守りです(箴言30:8)。さらに優れた道は、主に求めて主によって満ち足りることです(1テモテ6:6)。必要を求める性質は、神が与えられた良いものです。問題は、欲望が罪によって方向とバランスを失なっている事です。主だけが、私たちを正しく満ち足らせて下さいます(マタイ5:6,6:33)。神に求めて神に満たしていただく時、欲望の暴走は止まって満ち足りるようにされます(2コリント9:8)。
《主を信頼して恐れずに善を行なう(6)》
主を信じる者は、人々におびやかされても主が助けてくれるので恐れない、これが主を信じる者に与えられる確信です(ピリピ4:11,13)。私たちが不品行や世の楽しみに魅かれないで、神を求めるようになった時、世の人々は理解せず、迫害するでしょう(マタイ10:34-36、1ペテロ4:4-6)。しかし、神はこの困難をも益として、救いを広げて下さいます。困難があることは主があらかじめ告げた通りです。だから困難があっても勇気をもって善を行ない続けましょう。人と違う事を行うのには、勇気が必要。当然苦労する。しかしその労苦は無駄とはならない。主は私たちを世の光、地の塩だと教えられました。塩は塩気を放ってこそ価値があり、光は照らしてこそ価値があります。神を信じ従っているゆえに違っている事は、私たちの祝福の証しです。