2019年9月15日・・・日々新しくされる
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。イザヤ40:31(27-31)教会に大勢の年を重ねた方々が与えられて感謝します。聖書の神・主が私たちを人生をどのように守り支えて下さるかを確かめましょう。
《主は永遠と全能の力をもって私たちを支えます(27-29)》
主は、イスラエルの民に「どうして『見過しにされている』と言い張るのか」と問い掛けます。彼らは苦難の時に、主に見捨てられたと訴えました。私たちも同じように考えがちです。主は御自身の偉大さを思い起こさせました。主は永遠の神です。全世界の創造主です。主はすべてを支配し、不可能はありません。主はすべてをご存知であり、その知恵は測り知れません。この全知全能の神が、疲れた者を支えます。主に信頼する者を主は、失望させる事がありません。私たちの失望の原因は、主を信頼しないところにあります。主を信頼できず、主の助けを拒んでしまう。これが罪の状態です。神を信頼しなければ、神の平安を得られず、神に立ち返らなければ助けや救いを得ることはできません。しかし主は、御自身から離れた私たちに呼びかけ、手を差し伸べ続けました(ゼカ1:3,エレ31:3,ルカ19:10)。主は御自身を呼び求めよと招いておられます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに気なさい・・・」(マタ11:28-29)。そして主は、疲れた者に力を与えて下さいます(30)。
《主を待ち望む者は新しく力を得て上ることができます(30-31)》
子ども時代には、興味をもった事に何度も取り込んで吸収します。若い時には新たな事に挑戦する意欲と体力が満ちています。しかし若者の力にも限界があり、悩み疲れ挫折してしまう事も多いのではないでしょうか。労苦と試練は、壮年になっても熟年になっても、晩年になっても続きます。しかし、主を待ち望む者は、主から新たな力をいただきます。主によって強くされ、どんな試練にも窮しません(ピリピ4:13,2コリント1:4,4:8)。上昇気流に翼を広げ、空高く上ってゆく鷲のように、主に信頼する者は神の恵みによって支えられ、地上の困難やざわめきの届かない神のそばに上ってゆく事ができます。こうして、走っても力衰えず、歩いても疲れないのです。人生には意気揚々と事を始める時があります。いっしょうけんめい走る充実した時があります。しかしやがて飛ぶことも走ることもできなくなり、ゆっくり歩くしかできない晩年にも、主は私たちを支え、背負って下さるのです(イザヤ46:3-4)。聖書の神・主は「揺りかごから墓場まで」私たちを守り支えるだけでなく、「産まれる前から死後永遠の時まで」担ってくださる方です。
使徒パウロは自分の体が弱くなった時にいやしを求めましたが、主は、弱さの時にこそ主の力があらわさせる事を教えられました。主に信頼して歩む時、私たちは年を経てもなお輝く歩みが与えられます。(2コリント4:16)ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日・・・々新たにされています。