2019年12月29日・・・十字架のキリスト以外は知るまいと
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
(1コリント2:2(1-5)
多くの問題があったコリント教会のために、パウロ自身がどのような心で福音を伝えたかを証ししました(2)。私たちが主に喜ばれる信仰の内を歩むために、パウロの心掛けの大切さを共に確かめましょう。
《パウロは十字架のキリスト以外に何も知らないと決心していました(1-2)》
パウロが決断した背景には、言葉の技巧や説得術を重視していた、現代にも通じるギリシャ文化がありました。彼自身は故郷である国際的学問都市タルソで、これらを素養として身につけ、人々を説得するため必要に応じて用いてきました(使18:4,8)。しかし世の知恵に傾倒しているコリントの人々は、哲学や雄弁術、説得術の要素を見ると、そればかりに関心が行って肝心の福音が伝わらなくなっていました。パウロは、退廃した文化に浸ったコリント人に福音を伝えるために、十字架のことばだけを語り、世の知恵を一切想起させないと自戒していたのです。「知らない」とは、無知なのではなく、それに支配されず係っていないという意味です(2コリント5:21)。私たちも語る時、聞く時に、十字架のキリストから目を離さないようにしましょう(ヘブル12:2)。
《主はパウロを気弱にし、御霊と御力によって宣べ伝えさせました(3-4)》
これまでのやり方がここでは通じない事を、主はパウロに気付かせました。彼は自信を失ない恐れますが、主は彼に恐れずに語り続けるよう励ましました(使徒18:9-11)。恐れる中で、パウロが確信をもって語れた事は、キリストの十字架だけでした。これだけが、キリストの福音にしかない救いをもたらす信仰の核心でした。そして忍耐強く語り続けた時に、コリントの教会は築かれていきました。こうしてパウロは、宣教の働きは、人の知恵や力によるのではなく、「御霊と御力の現れ」である事を学びました。この経験を通して、福音の一番大切な信仰の枠組みが確立しまた。救いは、「恵みのみ」によって与えられ(マタイ25:34)、「キリストのみ」によって実現し(15:3-5)、「信仰のみ」を通して与えられます(ローマ1:16,10:9)。
《信仰は人の知恵でなく神の力によります(5)》
信仰は、人の知恵と力によってではなく神の知恵と力によって与えられ、また支えられるのです。世は自分の知恵では神と救いを知ることができません(1:18-21)。何者よりも高く知恵深く権威ある神が、私たちよりも低くなり、何の落度もない神が罪人の私たちの身代りにすべてを犠牲にされた。あまりにも愚直でもったいない神の愛と恵み、これが十字架の福音です。創造者・支配者である神から離れた知恵は、肝心の要素を無視するために不完全であり続けます(箴言9:10)。しかし神の力、神の権威は堅く立ち続けます。私たちが教会が堅く立つために、信仰が「人間の知恵によらず、神の力によるもの」となることが必要です。確かな神の知恵と揺り動く世の知恵が、鉄と粘土が混じりあったら強度がないのと同じです。私たち、最も確かな土台、神の愛と救いである十字架のキリストに根差すことができますように。