2020年1月12日・・・隠された神の知恵
私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
1コリント2:7(6-11)
パウロは前の箇所で、十字架のキリスト以外は知らないと決心して伝道した事を証ししました。そして信仰には、世の知恵ではなく神の知恵があると証しします。
《神の知恵は、創造の前から定められ今明らかにされました(6-7)》
知識は物事を知って理解すること、知恵は正しい知識を土台に良い生涯に歩ませる力です。救いをいただくのに、広範な知識も優れた実行力もいらず、ただ福音を信じるだけです(エペソ2.8)。しかし信仰者は神の知恵が与えられ、神の知恵を語ります。世の知恵は最重要の要素である神を認めないで良い人生を築こうとするところに無理があります。支配者の知恵は、富や権力によって思う通りの人生を求めますが、抗しがたい富と権力の誘惑にさらされます。しかし神の知恵は、すべてを造り支配しておられる神を信じ、神の計画に従って歩み、神はそれを守り応援して下さいます。神は、私たちのためにあらかじめ良い行いを備え、実現して下さいます(エペソ2:10)。
《神の知恵は、人が決して思い浮かべられない知恵です(8-9)》
聖書は「知恵の初めは主を恐れることだ」と教えます(箴言9:10)。主を恐れるとは、創造者・支配者である主を認め、主を大切にし敬い、主を喜ばせようとして歩むことです(マタイ6:33)。支配者たちは、主の前に低くなる事を厭い、富と権力に頼ります。祭司長たちはキリストを妬み危険視して、無実の罪で葬ろうと、総督ピラトは地位を守ろうと祭司長たちの圧力に屈して十字架刑に定めました。十字架において、彼らには権力が勝利したように見えましたが、それは神の計画の実現であり勝利でした(イザヤ53:6)。キリストの十字架は人が思いつけないものです。私たちは、逆らい続ける者の身代りに自ら死のうとせず、聖い神がそんな愚かな事をされるとは思えません。しかし神はそれを預言し、成し遂げられました(ローマ5:6-8)。十字架以外に人を罪から救う道がない事を主はご存じで、愛の故に自ら犠牲を払われたのです。
《神の知恵をもたらすのは聖霊だけ、他にありません(10-11)》
人には理解しがたく、信じがたいこの十字架の福音を、神は、聖霊によって私たちに示して下さいました。聖霊は、神であるので、それを正しく理解しておられ、正しく伝えることができます(ヨハネ3:5-8)。聖霊は、十字架のことばと共に働いて、人々を信仰による救いに導きます(2:4)。神のご計画や思いは、神の霊だけが知っています。そして聖霊が聖徒を導いて聖書を記させ、求める人々に理解させます。聖霊は人々に自分の罪を示し、キリストご自身を証します(ヨハネ16:8-11,13-15)。聖霊は人々のたましいを動かし、信仰に導き告白させます(12:3)。さらに聖霊は、私たちのために、言いようもないうめきによって私たちのためにとりなして、御心を悟らせて下さいます(ローマ8:26)。主を信じ求めて神の知恵をいただきましょう。