2020年2月9日・・・すべてはキリストのもの
パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。
1コリント3:22-23(16-23)
神の教会は、幸いではありますが完成途中で、様々の問題が起こります。そのために手紙が書き送られ、聖書に収められました。対処の方法は、「救いの正しい理解を広めること」でした。
理解と実践の基本が聖書の伝える通りになれば、ほとんどの問題は解決に向かいます。共に確かめましょう。
《神殿であるという人本来の栄光を破壊してはなりません(16-17)》
教会は、神がそこに臨在し私たちが神に礼拝をささげる場所、神の神殿だと聖書は告げます。パウロは、教会の一人一人に、「あなたがたは、自分が神の宮(=神殿)である」と告げます。キリストは教会を築くために十字架で犠牲をささげました(エペソ5:25-27)。キリストはクリスチャンの内に住んでおられ(ガラテヤ2:20)、教会はキリストのからだの神殿です(エペソ1:23,ヨハネ2:21)。神殿は聖なるものです、神の教会を破壊しようとするなら、神がその者を罰します。しかしコリントの教会では、内側から教会を破壊する事が行なわれていたと、パウロは指摘します。一致して主の栄光を現わすべき教会が、互いに分裂し対立していました。弱い信仰者の信仰生活をつまずかせることを平気で行なっており、「復活」の事実を否定してしまっていました。神の宮を破壊するような事をしてはなりません。
《愚かになる事こそ、知者となる道です(18-20)》
世の知恵を追求し誇ろうとする人々に、パウロは「自分を欺いてはならない」と注意し、「ねたみや争いがある」のは未熟な証拠だと指摘しました。自分の真実な姿を認めようとしないことは、自分を欺いていることです。成長せず、問題を解決できません。それはりっぱに見えたとしても愚かです。世の知恵で、自分が有利になるよう謀ったとしても、主はそれを打ち砕きます。知者になるためには愚かになるべき、つまり自分の足りなさを神の前にも人の前にも認めて、神に教え導いていただきましょう。
《一切は神の栄光のためのもの、人を誇ってはなりません(21-23)》
パウロは謙遜に告げます。すべてはあなたがたのもの、自分たち働き人たちも、いのちも、主も、現在のものも、未来のものも、神があなたがたに与えられたもの。彼らが崇めていたパウロも、アポロも、ケファも人々のために仕える神のしもべであると証しします(3:5,4:1)。神の国の原則は、「自分を低くする者は高くされる」ことです(マタイ18:4,23:12)。一切を支配する方であるのに、キリストは私たちのために、しもべとなって下さいました(ピリピ2:5-11)。私たちの救い主キリストは、私たちを愛して、私たちのための御自分のいのちさえ犠牲にされました。キリストの父なる神は、私たちを愛して「ご自身のひとり子をお与えになった」神です。私たちは主を誇りましょう。その時、争いや高ぶりはなくなります。主はすべての人の神であり、栄光を受けるのにふさわしい方、そして誰よりも謙遜なお方です。