2020年3月1日・・・誠実と真実をもって礼拝を
ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。1コリント5:8(1-8)
パウロはここから、不品行の問題を取り上げます。人は欲望に弱く、道を外れやすいのは今も変わりません。この問題に関する神の導きを知りましょう。
《救いは恵みだからと、不品行に陥ってはいけません1-3)》
不品行で有名なコリントでしたが教会の乱れは教会外の人よりひどいものでした。パウロは父の妻を妻としている者までいると聞き及びました。聖書は不品行を明確に禁じていますが、彼らは神の命令を破ってもかまわないと勝手に判断していました。パウロは、本来ならば、道を外れた仲間を諌め、それでも悔い改めなかったら係わりを断つべきではないかと指摘します。恵みによる救いを説く福音は、受け止め違うと、放縦に陥る危険があります。それは、周囲を福音に躓かせてしまいます。しかしまず覚えてほしいのです。恵みによる救いの教えは聖く歩ませるためです。
《パウロは遠くにあって不品行者をさばきました(3-5)》
彼は離れたところにいましたが、キリストにあってその場に同席して不品行を行なう者を「さばきました」と書き送りました。彼は祈りによって、問題をキリストの前に持ち出し、そしてキリストはコリントにいたその人をさばき、パウロはそのさばきに賛成したのです。主にあって、私たちは時空を超え係わっています。また彼は、不品行者を「その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡した」、それは「彼の霊が主の日・・・に救われるため」だと告げました。パウロの祈りに答えて、主は不品行者がサタンに誘惑されて身を持ち崩すのを放置します。そして窮する中で「放蕩息子」(ルカ15章)のようにが、神に帰り自分の誤ちを告白して、救いの祝福を回復するよう導きます。
《誠実と真実の信仰で神を礼拝し歩みましょう(6-8)》
いけないのは誇り高ぶりです。神様の戒めは、むしろ人が心から共に楽しめるために与えられたものです。神様は、愛を謳歌できるように人を創造された方です。人を男女に創造した(創世記1:27-28)のは、夫婦が一心同体になって幸せを築くためです。愛は傷付きやすいものです。自分勝手な欲望や支配、裏切りは、双方を損ないます。人は、主を恐れ主にあって楽しむ時にこそ、心底楽しみ喜ぶ事ができます。しかし高ぶりは滅びの道です。勝手な欲望によって人を支配しようとするなら、欲望の奴隷になって、神が用意されが本来の自分の幸いを失ないます。高ぶりが、むさぼり(邪悪な欲望)を生み、むさぼりがあらゆる悪の根となるのです。パウロは種を入れない出エジプトを記念したパンの祭りを例に引いて説明します。子羊のいけにえは、人類の罪の身代りとして死なれた神の子羊キリストの予表であり、それを食することはキリストを信じ受け入れる事を意味していました。種なしパンは、悪意と邪悪のない純真な信仰者を予表するものでした(7節)。パン種は、信仰者の全体に悪影響を与える悪意と邪悪を指しています。わずかな堕落も人や教会を毒してしまいます。パウロは冒頭の聖句のように勧めます。私たちを赦し聖めためにキリストは十字架で死なれました。イエス・キリストを信じる事が大前提。その上で、キリストに信頼して自分の人生を献げるのです(ローマ12:1-2)。