2020年3月8日・・・主が教会に命じる規律
外部の人たちは神がおさばきになります。「あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。」1コリント5:12(9-13)
ここでパウロは、教会のきよさがどのように保たれるかを教えています。教会がキリストの愛と聖さを証しするために、どうすれば良いでしょうか。
《排除する事によってではありません(9-10)》
彼らは、パウロが罪深い人と係わらないよう命じたと誤解していました。それは聖書の教えではありません。自分たちだけが聖く他の人たちは汚れていると見下すパリサイ主義は、神の前には汚れた考えでした(マタイ23:27)。そのように考えるユダヤ人たちは、罪のない神であるイエス・キリストを汚れている者として、十字架にかけてしまいました。汚れている劣った者だとみなして排除しても、罪と悪はなくならず、逆に排除する人自身が高慢で邪悪な者になってしまいます。聖書は告げます。人類を造られた神は、すべての人を愛しておられます。すべての人は、神の目に尊いのです(イザヤ43:4)。聖書はまた、すべての人が罪(神への反逆)を犯して、神を拒み無益な者となってしまったとも教えます(ローマ3:12)。
《キリストは罪人を救うために世に来られました》
イエス・キリストは罪人の友となって下さり、罪人を愛して迎え入れました(ルカ19:10)。パウロはこう証しします。「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」と(1テモテ1:15)。イエス様は罪人を救うために来られ罪人を受け入れ、ご自身を信じなさいと招きました(マタイ11:28)。そして一人の罪人が神に立ち返るなら大きな喜びが天にあると教えました(ルカ15:7)。イエス様は、罪人のためにいのちを犠牲にするため地上に来られました。私たちを受け入れ、私たちのために犠牲になる事を誇りとして十字架に向かわれました(マタイ20:28)。
《教会は内部の一致を保ち、外部の人は神のさばきに委ねます(11-13)》
パウロが、誤った道を歩む者と係わらないよう命じたのは、外部でなく教会内部のクリスチャンに対してのことでした(11)。神の国の規則は、小さい者を大切にすること、キリストの名によって人々を受け入れること、信仰をつまずかせないようにすること、迷った者を連れ戻して、喜ぶことです(マタイ18:14)。しかし、キリストを信じて救われながら神を踏み躙り、何度説得しても悪行を改めようとしない者に対しては、神の家族としての係わりを止めるよう、キリストは命じました(マタイ18:15-20)。この教会のさばきを「戒規」と呼びます。交わりを断つのは教会の信仰ときよさを守るため、また道を外れた兄姉が懲らしめの中で自分の誤ちに気付くためです。教会はその人のために祈り続け、立ち返って来たら喜んで迎えます。パウロはここで、教会のさばきについて確認したのです。そして、キリストをまだ信じてなくて悪の道に歩んでいる人々に対しては、キリストがされたように救われるよう働きかけますが、祈って一切のさばきを主に委ねます。クリスチャンは、祈りが大きな働きをなすことを知っています。