2020年3月15日・・・身近な所から平和を築く
あなたがたは知らないのですか。私たちは御使いたちをさばくようになります。それなら、日・・・常の事柄は言うまでもないではありませんか。1コリント6:3(1-11)
聖書が教える「さばき」は、行政と司法の両方を含んでいます。それは、みなが平和に幸せに生きるために、善悪を見極め、正しく生きるように導く働きです。キリストが下さった救いは、私たちが正しい「さばき」を行なうためでもあります。
《将来を見据え、身近な所から正しいさばきをめざすべき(1-3)》
コリント教会は、教会内の問題を正しく解決できないでいました。あえて正しくない人に訴えて、問題をさらに深刻にしていました。彼らが自分勝手に行ない対立していたのは、救われた自分たちの立場や、将来どのような働きを任されるかを知らなかったためでした。パウロはクリスチャンの将来の立場を確認します、「世界をさばくようになる」「御使いたちをさばくようになる」と。クリスチャンが神の子・御国の相続者とされたとは、御子キリストと共に神の国の責任者として治める立場になったという事です(ローマ8:17)。それならば将来の働きに備え、今置かれている所で、平和な関係を築く働きを各自担うべきではないか、とパウロは訴えました。教会で一致を築き仕え合う働きは、今、家庭や社会で平和を築くためにも用いられます。
《対立を解決できない教会に猛反省を促すパウロ(4-8)》
パウロは、コリント教会の人々を厳しく叱責します。どうしてトラブルメーカーに訴え出るのか、仲裁できる賢い人がいるはずではないか、自分たちで解決しようとせずに未信者の裁判官に訴え出るのか、と。訴え合っている事自体が敗北である、不正を甘んじて受ける方がましだ、と。悪を放置せよと言うのではありません。教会が仲間割れして、人々が救いを受け損なう損失の方が遥かに大きい、と言うのです。キリストでさえ自分自身を喜ばせることはされませんでした(ローマ15:3,ヘブル12:2)。主のため、たましいのために、不当な扱いを忍ぶ事を主は喜ばれ、主はその損失に倍して報いて下さいます(1ペテロ2:20)。
《神は信じた者を御国を相続するに相応しく造り変えて下さる(9-11)》
正しくない者は神の国を相続できません。そして聖書はすべての人が神の前に正しくないと告げます(ローマ3:23)。しかし十字架の恵みと信仰によって、天国に相応しくない立場や性質の者が、それを相続する特権を与えられました。どんなにその人が天国に相応わしくない人であっても、神がふさしい人に造り変えて下さる事によって、この約束が実現します。ですから、私たちは罪と戦う覚悟を決めて、主の訓練を受けましょう(ヘブル12:5-9)。神の訓練は、きびしいですが、それを通して私たちは、やがて永遠の幸いにあずかります。神は、ご自身の造られた世界を支配させる(=さばく)ために人間を創造されました(創世1:26,28)。罪により損われたその目標を、私たちは救われる事によって果たすのです。