2020年4月5日・・・聖書は成就する
しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」マタイ26:54(26-54)
受難週が始まりました。十字架に向かわれる主キリストの歩みから、聖書に預言された神の御計画が、どのように実現したかを確かめましょう。
《十字架を最重要の使命と自覚していたキリスト(26-29)》
主は、過越の食事を弟子たちと共にされました。過越は、エジプトで奴隷にされていたイスラエルの救いのために屠られた子羊を記念する祭りです。過越の子羊は、人類を罪から救う神の子羊キリストの予表でした(ヨハネ1:29)。イエス様は弟子の一人ユダの裏切りを宣告し、彼は出て行きました(20-2,ヨハネ13:21-30)。また、主はご自身の犠牲を覚る記念の食事「主の晩餐」を定めました。先にイエス様は、ご自身のからだを「いのちのパン」、ご自身の血を「まことの飲み物」呼び、自身が信じる者に永遠のいのちをもたらす事を教えられました(ヨハネ6:35,54-56)。
《キリストは、父の御計画を、苦しみの中で祈り求められた(30-44)》
一行は祈り場であるオリーブ山に行かれ、キリストは弟子たちのつまずき、ペテロの否認を予告しました。また、彼らのつまずきは、聖書の預言の成就であると教えました(ゼカリヤ13:7)。主の宣告を拒むペテロには、祈った事、彼の回復とその後の働きを教えました。それから、主はゲツセマネで血の汗を流して、祈られました。全人類の罪の重荷と痛みを罪を知らない方が負われること、永遠に生きておられる方が死ぬ事は、どれ程苦しく悲しい事であったでしょう。しかし祈りの中で、主イエス様は、「あなたのみこころがなりますように」と父のみこころを勝ち取る勝利を得られました。これから十字架に向かうイエス様は、もう取り乱すことがありませんでした。神のみこころを行なう事が、神の勝利であり救いです。それにあずかる事こそが神に造られた私たちの救いであり勝利です(ヨハネ6:38)。
《キリストは、聖書の預言が成就るため自ら十字架に向かった(45-54)》
主は、悲しみの余り眠っていた弟子たちを起こし、捕えられる時が来たことを伝えます。「立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています」(46)と主は弟子たちを促します。。十字架に向かう事は、諦めでも挫折でもありません。神の計画が成し遂げられる前進です。彼らにとっては、ここからがキリストの死と復活の証人と召された彼らの務めの本番でした。その時ユダが、武装した群集を連れて迫りました。ユダは、イエス様にあいさつし、引き渡すために口づけしました。それでもイエス様は、彼になお「友よ」と呼びかけました。そして、あなたは何のためにここにいるのか、と告げました。主は、さばくためではなく救うために来られ、彼を弟子とされたのです(ヨハネ3:17)。主が求めておられたのは、彼が自分の罪を告白して、悔い改める事でした。ペテロは捕えようとする者に切りかかりましたが、主は剣を収めさせました。主は聖書を成就するため、罪の身代りとして死によみがえるために来られたのです(ヨハネ10:18,イザヤ53:10-12)。