2020年4月12日・・・信じる者になりなさい
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」ヨハネ20:27(19-31)
「わたしはよみがえりです。いのちです」(11:25)と証しされたキリストは、約束の通りに、十字架で死なれ三日・・・目によみがえられました。生きておられる主に会った女たちは、それを知らせますが、弟子たちは本気にしません。そこに主は再び現われて、ご自身が本当によみがえった事を信じるように導いて下さいました。
《主は、弟子たちが信じることができるよう何度も現れました(19-23)》
復活された霊のからだは時空を超えたからだでした。そのため復活の証言は断片的で混乱しています。エマオに向かう二人の弟子に、途上から同行された主は、彼らが主だと気付いた時見えなくなりました。彼らは急いでエルサレムに戻って報告したら、主は既にペテロに現われていました。主は、施錠していた弟子たちの部屋に入り「平安があるように」とあいさつし、十字架で刺された手と脇腹を示しました。死も復活も、すべて主が言われた通りでした。主は彼らを復活の証人として派遣すると告げました。また弟子たちに約束の(14:16-17,16:7)「聖霊を受けなさい」と告げ、改めて神の国の権威を彼らに委ねたのです。
《主はご自身を求める者に復活を確信させて下さいます(24-28)》
弟子の一人トマスはこの恵まれた時に不在でした。彼は仲間たちの証言を聞いても自分が「手に釘の跡を見、そこや脇腹に手を入れてみなければ信じない」と主張しました。彼の思いと発言を見ぬかれた主は、8日・・・後に再度現われました。彼も同席の施錠された家に、主は入って来られました。主は前回と同じにあいさつし、トマスに、手に指を当てて見よ、手を脇腹に入れよ、と命じました。そして彼に、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と招かれました。主の招きに彼は直ちに答え、「私の主、私の神よ」というすばらしい信仰告白をしました。必要なのは求める事です。求める時主は答え、信じさせて下さいます(マタイ7:7)。
《十字架と復活を信じる時に、永遠のいのちをいたきます(29-31)》
使徒たちは、キリストの復活の証人として召された故に、よみがえられたキリストを目撃して信じました。見て信じる人も信じた故に幸いです。それでも主は、見て信じたトマスに「見ないで信じる人たちは幸いです」と告げました。信仰の確信は、見たという経験では不十分です。救いの確かな土台は、聖書です(1ペテロ1:23,2ペテロ1:19)。使徒たちがキリストの復活の証人として召されたのは、彼らが知り体験した証言を、永遠に残る真理のみことばとして記させるためでした。その聖書が、私たちの手元にあります。この書が記されたのは、キリストを信じるため、信じて永遠のいのちを得させるためです。神は、私たちがキリストを信じて救われ完成するために必要な一切を聖書にまとめました(2テモ3:15-17)。キリストを主と告白し、キリストの復活を信じるならばあなたは救われる、と神は聖書を通して約束しています。これこそ一番大切な真理であり、平安と希望の土台です。