2020年4月26日・・・神の救いと人のしがらみ
ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、また、それぞれ神から召されたときのままの状態で歩むべきです。私はすべての教会に、そのように命じています。
1コリント7:17(8-17)
前回の箇所(1-7節)では、結婚への誤解を解き、結婚が主の定めた聖いものである事を確かめました。パウロはここで、さらに具体的な勧めをしています。
《主にあって独身である事も結婚することも、どちらも良い決断(8-11)》
未婚の男女、また伴侶を失なった人に対して、パウロは、今は困難な時代だから、自分のように独身でいられるならそれが良い、と勧めました。これは命令ではありません。神様が二人を強く結びつけておられるなら、たとい困難を背負う事になっても、結婚した方が良い、とも教えています。もちろん結婚が周囲にも喜ばれるべき事は当然です(ヘブル13:4)。主にあって独身でいることも、主にあって結婚することも、どちらも良い決断です。さらに結婚した人は離婚してはいけない。もし離婚したら、再婚しないか、伴侶と和解せよ、と命じます。神が結び合わせた関係を、気に入らなくなったからと解消してはならないのです。手続きを踏めば離婚して良いと考える人々にキリストも同様に教えました(マタイ5:31-31)。
《未信者と信者との結婚関係も聖くあるように(12-14)》
聖書は信者同士が結婚することを命じていますが(2コリント6:14)、信者と未信者の夫婦も大勢いました。共にキリストを信じる前に結婚して、一方が先にキリストを信じてクリスチャンになった場合そうなります。そういう夫婦の場合、信仰の違いによって、互いの思いのすれ違いが深刻になる場合があります。その場合の原則は、未信者の側が「一緒にいる事(夫婦関係を継続する)を承知している場合は、離婚してはならない」。これがパウロの意見です。もちろん裏切りにより夫婦関係を破壊して改めない場合、処罰により結婚関係は解消されます。だだ、裏切った伴侶が悔い改めれば、主が赦して下さったように赦して、離婚を回避して関係を回復することもできます。またパウロは子どもの救いを案じる人に対して、未信者の父や母がいるために子どもが汚れる事はないと安心させました。安心して、子どもに霊的教育を与えて導いてほしいのです。テモテのような子になるかも知れません(2テモテ1:5)。
《結婚関係よりもキリストを第一に、それが互いの幸いの道です(15-17)》
信者とされた夫や妻は、結婚相手に誠実であるように変えられます。未信者の夫や妻は、結婚相手がクリスチャンとなることでむしろ益を得ているはずです。それでもなお信者である伴侶のもとを去ろうとする理由は、伴侶が信じるキリストを拒み、神であるキリストよりも自分を上に置こうとするためです。その自己中心に妥協するならば、キリストが夫婦を祝福しようと働かれる恵みを損なうことになります。キリストを信じる者は愛する伴侶を主に委ねましょう。人生、また人の努力がの実を結ぶことは、神の祝福なくして有り得ません。自分で背負い込まないで主に委ねましょう。人を救うのは、神であり神のみことば聖書です。キリストを信じたら、各自救われた時)のままの状態で歩むべき、と聖書は教えます。救いは、置かれた立場の中で、その働きや関係を主にある祝福へと導くのです(ヨハネ8:31-32)。