2020年6月14日・・・自由な決断は主にあってこそ
妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。
1コリント7:39(36-40)
聖書は願う人と結婚する自由を神が人に与えていると教えています。同時にその自由は「主にある結婚に限る」と条件をつけています。共に見て行きましょう。
《主にあっては結婚する事も、とどまる事も良いこと(36-38)》
この手紙が書かれた時代、教会への迫害が厳しくなり危険な社会情勢でした(7:26,28)。困難を承知で結婚しようとしている相手に、危険な時代だからやめようと言い出すことは非礼です。また延期して婚期を逃させてしまうのも良くありません。相手の気持ちや人生を考え婚約の誓いを忠実に果たすことは、どんな時代にあっても尊ばれる良いことです。また危険な時代にあって、互いに信仰により同意し、主のために独身者として精一杯主と教会のために働こうと献身すること、それはもっと良いことだ、とパウロは告げました。相手の意思を大切にし、自分だけで先走りしないように。この原則は、結婚した後はなおのこと大切です。
《再婚する自由も「主にある結婚」でこそ(39)》
結婚の誓いは、永遠ではなく、「死が二人を分かつまで」です。苦楽を共にした思い出を抱くことはすばらしいことです。しかし死後も伴侶に縛られることはありません。伴侶と死別したら、遺された妻(あるいは夫)は、「自分が願う人と結婚する自由」があります。死別は悲しい事ですが、主にある兄姉は、天で再会する約束があるのです。神は自由を与えられたのですから、この自由を有効に用いてください。聖書は教えます、再婚の条件は「主にある結婚」であることです。「自由」とは、良い選択を選び取り実現する力です。そこには、自分で良いものを選び取って実行する責任が伴っています。また「主にある」とは、主が賛成し主が祝福して下さる判断や行動である、ということです。自分が願っている結婚を主が喜び祝福して下さるかを確かめ、主の喜ばれる道を選びましょう。その時主は、その決断を祝福して下さいます(詩篇127:1,128:1-4)。
《大切なのは、主にある自由を大切にすること(40)》
パウロは「しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです」(:40)と付け加えます。この独身の勧めは強制ではありません。可能ならば、という条件がついています。結婚は互いに自らを相手のものとするくびきです。夫婦は互いに縛られています。それでこそ夫婦は保たれ、祝されます。そして主が伴侶を取られたことは、主が夫婦のくびきから解放された事でもあります。当時、女性が単身で家計を支える事は困難でした。しかし困難であっても全てを主のためにささげようと献身して歩むことができるなら幸いです、とパウロは教えました。当時そういう女性は少なくありませんでした。教会には、そのようなやもめたちを親族また教会が支えるように命じられていました(1テモ5:3,5,16)。結婚、独身、再婚するしない、その他、自分がどのように生きるかについて、まず神を第一に、そして人にも喜ばれるよう「主にある」人生の決断をもって進みましょう。主はその決断を祝福して守り導いて下さいます。