2020年6月21日・・・知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てる
次に、偶像に献げた肉についてですが、「私たちはみな知識を持っている」ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。
(1コリント8:1(1-6)
当時、食用にする動物は神々にささげた上で、販売されていました。それを食して良いかどうか、教会の中で意見が分かれていました。この箇所を通して、互いの意見が食い違う時どうしたら良いか、主の教えを受けましょう。
《知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます(1-2)》
パウロは「みな知識を持っている」ということは分かっています、と書き送りました。知らされている事は同じでも、ある人々は「問題ない」と主張し、別のグループの人は、汚れるので「触れても食してもいけない」と主張しました。どう理解し判断するかによって対立が先鋭化し、自分の方が正しいと高慢になる危険があります。パウロは「愛は人を育てます」と続けました。知識だけでなく愛をもって関わる必要があるのです。高慢な知識は対立を生み、強い意見が支配すると独善に陥って不足や誤りが是正されません。しかし愛は、「寛容、親切、謙遜」をもたらし、より良い理解や成果をもたらし、一致して取り組めるようになるのです(1コリント13:4)。知る時には、謙遜を忘れないように(2節)。
《神を愛するなら、その人は神に知られています(3)》
幸いな関係を結ぶために、一番大切で有用なのは相手を愛する(大切にする)ことです。聖書の戒めの中で、一番大切な戒めは「神を愛しなさい」です(マタイ22:37)。パウロは、人が神を愛する時、その人は神に知られている、と告げました。主は、すべてを知っておられます(詩篇139:1-6)。また主は、ご自身のひとり子を下さる程に私たちを愛しておられます(ヨハネ3:16)。キリストを信じる時、神の愛がその人に注がれ、神を愛する者と生まれ変わります(1ヨハネ4:19)。こうして私たちが信じて神を愛する者とされた時、神は、私たちをご自身を互いの愛によって結ばれた者として覚えていて下さるのです。これこそが一番の平安と満足を得る道です。
《私たちには唯一の神がおられるだけです(4-6)》
人々が、助けてもらえるように、また、わざわいをもたらさないように、と自分が偉大だと思うものに、何らかの貢献や誠意をあらわすことが「偶像にささげる」ことです。こうして一時の安心を得ようとしますが、何が本当に敬い大切にすべきかについて、意見が分かれます。「神々」と聖書は言います。唯一の真の神である「主」は、ご自身が造られたものの中に、人があこがれる偉大なものがあること、人間も神に似た者として偉大さを身にまとうことがあるのを知っておられます(詩篇82:6-7)。しかしどんなに偉大なもので人でも、真の神ではありません。弱く、不完全であり死ぬものです。本当の神ではないものを神だとして拝む事は、神を悲しませ怒らせることです。相手に自分勝手で誤ったイメージを押し付けていたら、健全な関係を築けません。その偉大さを認め尊敬しても、神として拝むべきお方は主お一人です。主との唯一の本当の神と幸いな関係を築きましょう。このためのキリストの救いであり、このためのクリスチャンとしての考え方や生き方です(10:31)。