2020年7月19日・・・天にある永遠の住まいの希望
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。ヨハネ14:6(1-6)
神のみこころは、すべての人が悔い改めて、自分の罪の身代わりとなって十字架で死なれたイエスを、救い主として信じ受け入れ、ひとりも滅びることなく永遠のいのちをいただくことです。聖書からイエス様が約束してくださった天国にある永遠の住まいの希望についてみていきましょう。
《わたしの父の家には、住まいがたくさんあります(2a)》
私たちはみな地上の生涯を終える時がやってきます。聖書に「私たちの齢は70年、健やかであっても80年、そのほとんどは、労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります」(詩編90:10)とあります。イエス様は「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とのみことばをもって福音宣教を開始されました。世を去ろうとする最後の時にも「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります」と弟子たちに心を騒がすことがないように励ましてくださいました。私たちが地上の人生をまっとうした後に、永遠の憩いのうちに過ごす天国は、イエスキリストの約束によって確かに存在しています。
《わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです(3b)》
私たちは天の父の家で、イエス様と一緒に永遠を過ごすことになります。イエス様の方から私たちのところへ来てくださって、迎え入れてくださるとの約束を感謝しましょう。罪人である私たちはイエス様が連れて行ってくださるのでなければ天国に入ることはできません。地上での良い行いや努力で天国に入ることができる人は残念ながら、ひとりもいません。聖書は「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない」(ロマ3:23)と告げますが、イエス様は「正しい人を招くためでなく、罪人を招くために」私たちのところへ来てくださった救い主です。その救いの道はすべての罪人のために用意されています。神様は愛する者のために万全の準備を整えてくださる方です。
《わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(6)》
救いの道とは「死」から「永遠のいのち」へと移される恵みの道です。永遠のいのちは、人が自分の努力で獲得できるものではなく、罪人を憐れんでくださる神様が分け与えてくださる恵みです。その対価を人はどう逆立ちしても支払うことができません。私たちの負債を私たちに替わってイエスキリストが十字架の上で完全に支払い済みとしてくださいました。私たちはイエスキリストの約束のみことばを感謝してそのまま受け取ればよいのです。イエス様を信じてゆだねれば、必ず永遠のいのちの祝福へ導いて下さいます。イエス様こそが道であり、真理であり、永遠のいのちへと私たちを導いてくださる救い主です。