2020年8月9日・・・神は無理な試練にあわせない
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
1コリント10:13(1-13)
これは私たちの勇気と平安を与える約束です。私たちがそう確信できる土台を、共に確かめましょう。
《荒野で滅ぼされたイスラエルの先祖たち(1-10)》
パウロは荒野の旅で起こった事を覚えてほしいと訴えます。主は、エジプトで奴隷にされていたイスラエルの民を、約束の通りに救い出してくださいました。彼らの歩みは、キリストの救いとその完成の道を予表しています。紅海を渡った奇蹟は、死をくぐり抜けて救われるキリストの救いの予表でした。不毛の荒野での神の養いは、いのちパンであり、いのちの水を与えるキリスト、約束の地は永遠の御国の予表です。しかし旅の途中で民は神の怒りを受けてしまいました。パウロがここで語る試練は、イスラエルの荒野の旅における5つの罪、「むさぼり、偶像礼拝、淫らな行ない、神を試みる、神への不平」への誘惑にさらされる試練です。ただ主に信頼して従えば良かったのに、彼らは主に信頼しなかったため滅ぼされ、約束の地に入ったのは、主に信頼したカレブとヨシュア以外は、次世代の子どもたちでした。
《この出来事は、私たちへ戒めまた教訓(11-12)》
イスラエルの救いと荒野での試練と懲らしめは、世の終わりに臨んでいる私たちへの戒めと教訓のためです。自分を救った主の愛と忍耐を軽んじ自分勝手に歩んだイスラエルがどうなったら覚え、同じ轍を踏まないためです。主は、終りの日・・・には困難な時代になると語られました(マタイ24:3-8)。人々は、荒野のイスラエルが犯したように、誘惑されて誤ちに陥ります(2テモテ3:1-)。人々の自己中心、金銭欲、誇り高ぶり、神を軽んじる、不従順、恩知らず、汚れ、争いなどに、いつの間にか神を恐れる人々も影響されてしまいます。「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(:12)と聖書は戒めています。罪の力は生易しいものではありません。主のもとにあってのみ安全なのです。
《神は試練と共に脱出の道を用意しておられる(13)》
私たちの受けるのと同じ試練を、信仰の先輩たちも経験し信仰により勝利してきました。試練に会った多くの聖徒たちの歩みを聖書が証ししています。記されていない聖徒たちを加えたら「雲のよう」に無数です(ヘブル12:1)。パウロ自身も、耐えられないと思えるような試練を経験して守られてきました(2コリント1:4,8-9)。キリストも私たちをとりなし支えるために、私たちの以上の苦しみを経験されました(ヘブル4:15)。主が与えられた試練は、たとい自分では耐えられないと思っても主が守られます。試練から脱出する道が備えられています。試練に勝利する信仰は、自分に信頼する「自分への信仰」ではなく、ただ主に信頼する「主への信仰」です。