2020年9月6日・・・互いの益となる交わりを
ところで、次のことを命じるにあたって、私はあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが益にならず、かえって害になっているからです。
1コリント11:17(17-22)
パウロは、集まりが皆の益となるように指導します。今現在、当教会も感染症対策のために食事の交わりをしていませんが、日・・・々の生活、教会の活動に不可欠な交わりが益となるように、聖書の教えに確かめましょう。
《ある程度の分裂は避けられません(17-19)》
神は各自に異なる個性や立場を与えておられます。現在、感染症対策や経済問題が絡み合っている中で、問題に対する捉え方と対処法についても意見が分かれると思います。互いの知恵を出し合って、最善の方策を求め協力してゆきましょう。またパウロは、本当の信者が明らかにされるために分派が生じるのは避けられない、と教えました。神を大切にするのか、神以外を大切にするのかによって、見せかけの信者と本当の信者が分けられるからです。そして見せ掛けの救いが明らかになることで本当の救いを得られるようになります。一時がっかりしても、良いことです。
《一緒に集まって活動しても主に喜ばれる活動をしているとは限りません(20)》
教会は集まって様々の活動をしています。主の晩餐はキリストが定めた大切な式ですが、教会に一緒に集まって食事をすれば「主の晩餐」になるわけではありません。真の教会のしるしは、「御霊と真理によって父(なる神)を礼拝して、神が崇められている」ことです(ヨハネ4:23-24)。イスラエルは旧約時代に、この目標を人の努力で達成しようとして堕落し挫折してしまいました。しかし、イスラエルを通して来られたキリストは、十字架と復活によって罪の赦しと永遠のいのちの救いをもたらされ、信じるすべての人に与えられました。こうして、神に喜ばれる御霊と真理による礼拝を実現して下さいました(ヘブル10:19-25)。信仰と信仰による救いがなければ神に喜ばれることはできないのです。
《神の栄光のために集まってこそ本当の交わりです(21-22)》
コリント教会の食事の状況は、ほめられたものではありませんでした。金持ちは自分たちだけで食事を始め、豊かさをひけらかし、酒に酔いました。貧しい人は指をくわえて眺めるか退出するしかありません。これではキリストの犠牲によって一つにされた教会を証しする「主の晩餐」は成立しません。また奉仕の賜物をひけらかそうと争ったので、心を合わせて主に献げる礼拝でなくなってしまいました。得意だからやりたいからと奉仕するのでなく、主と兄姉のために自分を無にして仕え、主だけがほめたたえられるよう主に感謝して仕えるのが奉仕の本来の姿です。クリスチャンはみな「普通の人」です。ただキリストを信じて救われただけです。救われ罪赦された喜びと平安の内にあるので、心から喜んで主に礼拝を献げ、神から注がれた愛によって神の家族として交わりを保ち、共に成長しているのです。そしてあなたも同じように救われてほしい、主と共に心から願っています(1テモテ2:4)。