2020年9月13日・・・主の晩餐にふさわしく
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」1コリント11:23-24(23-34)
この箇所では、キリストが教会に命じられた「主の晩餐」の意味と大切さを確認しています。主はなぜ、主の晩餐を定められたのでしょうか。
《キリストのいのちを犠牲を覚え伝えるためです(23-26)》
キリストは、パンを「あなたがたのためのわたしのからだです」、ぶどう液を「わたしの血による新しい契約です」と主は宣言し、守るよう命じました(ルカ22:19-22)。神が与える天からのまことの食物、飲みものがキリストであり、それを食し飲むのは、キリストのもとに行きキリストを信じて受け入れることによります。こうして永遠のいのちをいただき、キリストが私たちの内に生きます(ヨハネ6:35,ガラテヤ2:20)。同じパンを食し同じ杯から飲むことは、十字架の犠牲によって一つにされたことを覚えるためです。聖書は、「飲むたびに」キリストの犠牲を覚え、救いのための主の死を告げ知らせるよう命じられました。教会は、キリストが再び来られるまで、十字架の福音を証しするために主に結びつけられたのです。
《主の晩餐はふさわしい仕方で守る必要がります(27-30)》
宣教の命令(マタイ28:19-20)を主は教会に与えました。救われキリストに従う弟子となりバプテスマを受け、キリストの教えを実践するように学び訓練されます。これを実践するために、キリストと教会との結びつきを強固にするのが主の晩餐の目的です。この式に臨むたびに、主の教え、教会に加わる時に確認した基本的な教えと、教会契約を確認します。そしてこの教えと契約を守り行なっているかを点検し更新するのです。もしわきまえていないなら、「自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになる」と警告し、実際、弱くされた者・病を負った者・死ぬ者たちがいたと記されています。これは救いが失なわれることではなく、主と教会への罪を犯を止め、教会を聖めるための主の懲らしめです。人にとって、地上で楽しむ事よりも、永遠のいのちを全うする事の方が遥かに大切なことです(マタイ16:26)。
《この式に主は臨在し、信仰の歩みを厳粛に守って下さる(31-34)》
いたずらに恐れる必要はなく、正しく恐れれば良いのです。主は、神の国とその義を第一にせよと命じ、そこにあらゆる必要の満たしと祝福を約束されました(マタイ6:33)。主の晩餐を通して信仰を点検することで、教会の活動や信仰生活も祝福の内に守られていきます。信仰が祝され教会が祝されることで、日・・・々の生活も、家庭も、学校も、職場にも祝福が広がっていくのです。霊の親である主は、私たちを愛しておられるから懲らしめます(ヘブル12:4-10)。祝された主の晩餐をささげられるように備えましょう。教会は大家族です。大勢でスムーズに活動できるように取り組む中で、私たちは人として磨かれていきます。こうして、あらゆる場面で私たちが有益な器とされて、キリストを証しすることができるようにされます。