2020年9月27日・・・御霊の賜物、信仰告白
ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。1コリント12:3(1-3)
聖書の神は唯一のお方ですが、父、子、聖霊(御霊)の三つの神格があって、互いに自律しながら一致協力して考え働かれます。御子キリストはご自身がもう一人の助け主である聖霊を送ると約束し(ヨハネ14:16-17)、十字架と復活の後天に昇られてから地上に送られました。
《私たちに聖霊なる神が臨み賜物を与えて下さいます(1)》
しかしコリント教会では、聖霊の賜物が争いや分裂の口実になってしまっていました。そこでパウロは聖霊の賜物についての理解を矯正しようと書き送ったのです。聖霊の働きと賜物は、キリストの救いを受けさせ、教会が完成していくためのものです。自分だけを喜ばせ、自分を誇るために与えられたものではなく、むしろ相手を尊敬し仕えるためのものです。(ローマ15:1-3)「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。・・・」
《キリストを信じる前は空しいものに引きつけられていました(:2)》
第一に知っておくべきことは、聖霊の働きと賜物が与えられたのは、私たちを偶像の支配からキリストを信じる救いへと導くためだということです。救われる前私たちは、みな罪に支配されて抜け出せない者でした。引力圏から抜け出せないようにです。人は、幸せな世界を築こうと努力しても、いつの間にか形骸化し腐敗して挫折を繰り返してきました。人は被造物であり、どんなに努力しても神にはなれません。権力や知識を増し加える程に、不安になり欲望に捕えられてしまいます。老化し衰え死んでゆきます(詩篇82:6-7)。聖書は、木や金属で作った像だけでなく、貪欲こそ偶像だと教えます(コロサイ3:5)。今、キリストを信じて救われているクリスチャンたちも、全員、かつては偶像に支配され、欲望のままに歩んで、神にさばかれるべき者でした(エペソ2:1-2)。
《聖霊は私たちをキリストに結びつけ、告白させ、救いの内に守って下さいます》
しかし主はご聖霊を通して私たちをキリストへと導き、空しい偶像礼拝から救い出して下さいました。聖霊は聖書と共に働いて、私たちを信仰に導いて下さいます。罪を知らせ認めさせます(ヨハネ16:8)。救いの信仰へと導いて下さいます(ヨハネ16:13)。そして聖霊が、信仰の告白をさせて下さいます(3節)。キリストを信じたものは、自分で信じたのですが、同時に聖霊が信じさせて下さり、告白させて下さったのです。真実な信仰告白は、聖霊の導きなくしては不可能です。その告白を通して、確かに信じて救われたと、自他共に確信できます。どんなに、自分が罪深く救いから遠く思われても、神には不可能はありません(参:ルカ23:42-43,1テモテ1:15)。さらに救いの要素、新生、神の子の特権、祈り、信仰の実、証しも聖霊が与えて下さいます。こうしてイエス・キリストを主と信じ告白した者は、みな救われて、同じ御霊をいただいており、救いの内に守られます。