2020年10月11日・・・各自はキリストの体の部分
ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。1コリント12:12(12-21)
パウロは、教会がどのような組織なのか確認しています。共に確かめましょう。
《聖霊によって信じ救われ一つのからだとされたのが教会です(12-13)》
無数の部分(器官)がしっかり結びついて血や神経がつながっていなければ、体として生きていくことはできません。教会も同じです。神様は、生まれたままでは共に歩むことなど有り得なかった一人一人を、聖霊の働きによってキリストを信じるように導かれました(3節)。そしてその信仰の告白に基いてバプテスマを受けさせて一つのからだ、一つの教会に結びつけられました。この導きを、主は「世界の基が据えられる前から、キリストによってあらかじめ定めておられたのです(エペソ1:4-5)。この結びつきを聖書は「交わり」と言います(1ヨハネ1:3-4)。
《教会は各器官である兄姉が結びついて成り立っています(14-17)》
人体とキリストのからだは違う所があります。人体の器官は頭からの指令に従うだけですが、教会の場合は、かしらであるキリストのみ心を求めながらそれぞれが結びついています。各部分が判断しているのでより高度な事ができますが、一致しないとたちまち調子が乱れてしまいます。15-16節にあるように、足が「私は手でないからからだに属さない」、耳が「私は目ではないからからだに属さない」、と主張したら、全体が困ってしまいます。教会員のだれかが、不満があるので私は教会に属さないと主張しても、それで属さなくなるわけではありません。人体において、器官が不調でも人体の一部であり続けるのと同じです。また、全体が目、全体が耳だったら身体として成り立たないように、教会において、各自が全体の事を無視して自分の好きな立場や奉仕だけを求めたら、維持や活動ができなくなってしまいます。社会や家庭でも、そんな事が言えるのは、幼ない子どもだけです。各自が頭である主と全体のことを考えて行動する大人として成長をめざすのです。
《神がみこころによって私たちを必須な各器官とされました(18-21)》
私たち教会員は、−−−またこれから教会員になろうとする方々は−−−主がご計画をもって、一人一人をご自身のからだ・教会の各部門の担い手として選び、賜物を備え、それぞれの奉仕者として任命して下さったのです(ヨハネ15:16)。クリスチャに与えられた立場は、使用人ではありません。神は私たちを、ご自身の子ども、永遠に続く神の国を相続する一族として迎えられました(エペソ2:19)。教会のメンバーは客でなく担い手です。主のために礼拝や奉仕をささげ、キリストを知っていただきたい方々に仕える働きを、全員で担っています。奉仕を決める時はまず、主と教会のために必要とされていることを祈りましょう。また依頼されたら祈って挑戦しましょう。大変なことがありましたら委員長や牧師夫妻に伝えて下さい。私たちの奉仕や教会活動は、神の国を地上で広げ完成するキリストの働きの一翼であり、やがて天国を納める働きのための備えとして与えられています。小さなことにも忠実にお仕えしましょう。主が報いて下さいます(ルカ19:17)。