2020年11月15日・・・賜物を求めるのは共に築かれるため
同じようにあなたがたも、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように求めなさい。
1コリント14:12(1-12)
神の賜物である愛をどのように生かしたら良いかを14章は伝えています。始めの部分であるこの箇所は、賜物(神が下さる力また祝福)を求めるのは、何のためであるかを教えています。
《賜物は、教会を成長させるためのものです(1-4)》
パウロは賜物を求める私たちに「愛を追い求めなさい」と命じます。愛の賜物がなければ、どんなにすばらしい能力や働きがあっても、役立たず、むしろ妨げになってしまうからです(13:1-3)。さらに彼は「預言する」(神のことばを預って語る)賜物を熱心に求めなさい、と命じます。それは奇蹟を伴わない、地味な働きですが大切でした。一方異言の賜物(奇蹟をもって外国語を語る初期に存在した賜物)は目立ったので、コリントの人々はこの賜物を求めていました。異言よりも預言を熱心に求めるようパウロは勧めます。目立つ奉仕を求めていたら教会として成長できないからです。
《賜物は全体の益とならなければ無益です(5-9)》
パウロは、異言を否定しませんが、預言することをより願いました。異言だけでは人々が驚き感心しても、神が何を語られたかが、理解されないままでした。神が何を語られたかが判らなれば、救われ、悔い改め、信仰を成長させ、また一致して歩むことができません。進軍のためのラッパが、はっきりした音を出さなければ合図の役を果たせず、群れの統制が取れないのと同じです。理解できることばで語ってこそ、教会は神にあって一致し、また成長できます。私たちも、聞き取れる発音、相手が理解できることばで、話しをし、語り合うことを求めましょう。また教師や役員や説教者が、解りやすく伝え、聞くことができるように祈ってくだだい。
《ことばの賜物は通じ合って共に成長するためです(10-12)》
意味が判ることは、ことばとして必要な最低限のことです。しかし意味が判れば通じ合うわけではありません。ことばが通じても心が通じ合えない事をたくさん経験しているのではないでしょうか。罪の故に、足りなさの故に、私たちは、意思疎通をし、互いを思いやり、一致することはむずかしいのです。そのために主は「愛の賜物」を備えて下さいました。13章の愛の賜物やガラテヤ5:12-24の御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」は、教会の各器官である私たちが共に教会に築かれて成長するためです(エペソ4:7,12-13)。これが「主にある交わり」です。主が一人一人を、この教会に導いて下さいました。必要ない方は一人もいません。愛によって結ばれ、違いを乗り超え、一つに結びつき、共に成長するためです(1ヨハネ1:3,エペソ4:16)。兄姉が教会や家庭で愛の賜物によって愛し合い一致する所に神の栄光があらわされ、救いが広がります。