2020年11月22日・・・考え方において大人となりなさい
兄弟たち、考え方において子どもになってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。1コリント14:20(13-20)
前回の1-12節では、賜物が与えらえたのは全員が成長するため、であることを教えていました。今回の箇所では、語る奉仕において、皆に理解させる必要を説き、信仰の希望や喜びを共にできるようにと勧めます。
《異言を語る人は自分でそれを解き明かせるように(13-16)》
パウロは、異言で語る人は、それを解き明かせるように祈りなさいと告げます。コリント教会では、当人さえ語らせていただいている言葉の意味を理解していない事があったからです。理解しないまま異言を語っても「知性は実を結ばないこと」になっていました。自分では感動しているが、その内容をきちんと理解できておらず、説明することができないでいたら、周囲は、何を感動しているか判らず同意もできません。スポーツや働きでも、感覚だけでやっていると、人を育てることはできないのと同じです。私たちも救いの喜びと確信の理由を説明できるように備えましょう。「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(1ペテロ3:15)。《育成するための奉仕である事を忘れてはならない(17-19)》
異言(外国語)の賜物を誇る人たちに、パウロは主の恵みと感謝するのは良いが、自己満足を脱し、与えられた賜物をもって、人々の信仰の成長に寄与するように勧めます。パウロ自身もこの賜物をいただいていました。彼は言葉に現わせないような、主との深い交わりを与えられ、主の前に日・・・々語り教えられ、支えられ励まされできました。しかし彼が感動しつつ祈っている姿を見ても、そのままでは何を祈っているのか人々は理解できません。人々の前で語る時には、理性を働かせ自分を制して、人々が理解できることば語ったのです。パウロは、通じないことばで1万語語るよりも、他の人を教えるために「知性を用いて5つのことばを語る方が良い」と告げました。神とのすばらしい体験を、みながいつも同じように経験するわけではありません。夢中で話しても、未経験の人たちには理解できないことがあります。聞く方々の救いや成長になる明確で簡潔なことばを語りましょう。コリントの人たちは、他の人に役立つより自分が楽しいこと、地味で堅実なことよりも目立つ方を好んでいました。それは子どもっぽい(未熟な)性質です。他方、悪事については子どもの方が良い。未熟・未経験であるべきです。悪に長ける、悪の経験豊か、というのは悪に染まり悪賢いことですから。しかし、考え方においては大人であるようにとパウロは命じます。イエス様もそれを教えられました(マタイ10:16)。大人の考え方は、知性を働かせ、感情に振り回されません。また、聖書のみことばに基いて考え行動し、主に従います(詩篇119:105)。神の約束を信じて、忍耐をもって歩み続けます(ローマ8:25)。自分のことだけでなく、他の人の事も考えます(ピリピ2:4)。こうして良いものと良くないものを見分け、悪に負けずに、共に正しく成長することができるのです(エペソ4:14-15)。