2021年1月3日・・・救いの完成の栄光
キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。ピリピ3:21(1-21)
年の区切りを迎える主の日・・・に、キリストを信じる者に用意されている救いの完成が、どんなにすばらしいかを、共に確かめましょう。
《天国の目標を確かにする事は、今を生きる事に有益です(1-17)》
苦しい時に、今の困難を逃れることばかりに心を奪われて、希望や楽しみを持てなくなってしまうことは、人生の罠です。見えること、自分のことだけに心を奪わせ、神とその恵みを見させなくするのが、世の策略です(1ヨハネ2:16)。信仰生活にも、この世的な考えが入り込む事があります。自分の行い、働き、評判、立場・・・これらは大切な事ですが、第一のことではありません。パウロは、「自分の満足」に囚われて、キリストを拒んでしまった事を損と気付き、今は、キリストを知り、得、復活のキリストに似てゆく事を目指していると証ししました(:8b-11)。また、自分は完成途上だが、このすばらしい目標に到達できるよう、神が自分を召し、完成するようキリストが自分を捉えておられるので、神の栄冠を得るため「目標を目指して走っている」と。そして、パウロは、すべての聖徒に、同じように目指してほしい、と勧めました(17-19)。《地上の事だけを考えることは、十字架のキリストを敵とすることです(18-19)》
パウロはがそう告げたのは、キリストを信じようとしない人々のため涙を流しながら祈る故でした。キリストも教えられました「滅びに至る門は大きく......そこから入って行く者が多い」と(マタイ7:13-14)。そしてキリストは、十字架の上で、ご自分を十字架にかけた者たちのためにとりなしました(ルカ23:34)。地上でどんなに、満足できる人生を送ったとしても、十字架を拒むならば、死後に受ける神のさばきを受けなければなりません(:19)。地上の事だけを考えて、死後のさばきに備えない人は、嵐への備えを無視して砂の上に家を立てた人のようです(マタイ7:24-27)。《キリストを信じて天の国籍を持つ者は、天国の完成を希望として歩みます(20)》
キリストを信じた者は、天の国籍をいただいています(:20)。ですからa)聖徒にとって地上は、寄留地です、b)やがて天国でいつまでも神と共にあります(ヨハネ14:3,1テサロニケ4:17)、c)神は、地上のすべてをも支配し、私たちを守って下さいます(ローマ8:39)、)キリストは天国に迎えて下さるだけでなく、私たちをご自身と同じ姿に変えて下さるのです(:21)。天国に入るには、天国にふさわしい者でなければなりません。私たちは、キリストを信じる事によって、神の用意された「罪の赦し」「新しく生まれた、永遠のいのち」「神の子の特権」をいただいています。そしてキリストを信じた時から、この救いの完成に向けて、歩み始めています。これは浮世離れした考えではなく、むしろ最も実際的で確かな教えです。目標を捉えて準備し困難の中で取り組み続けるのです。私たちは、人生に必ず来る終りと、その後の目標を目指して備え、永遠の御国に向けて取り組む事が必要です。