2021年1月10日・・・パウロの証し、神の恵みなのです
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。1コリント15:10(8-11)
パウロは機会を得るたびに、救いや働きの証しをし自分に倣うようにと勧めています(ピリピ3:17)。彼が自分の証しを通して、何を私たちに何を勧めているのかを、確かめましょう。
《主は小さく価値のない自分を顧みてくださった(8-9)》
パウロは8節で、復活のキリストが最後に自分に現われて下さったと証しします。彼は「月足らずで生まれた者のような私」と告白し、自分が霊的には未熟児、救いを拒んだまま死んでしまっても当然の不信仰な者であったと告白しています。また彼は自分を、使徒として不適格な者だと告白しました。使徒の資格であるキリストの復活の証人ではありました(使徒1:22)。しかし彼は教会を迫害し、ダマスコに逃れた聖徒たちを捕えに行きました。しかしその途上、主が現われて下さったので、やっと自分の誤ちを知りキリストを信じさせていただいたのです(使徒9:3-6)。ふさわしくない自分を救って下さる主の恵みをいただく、これが、パウロが自分に倣ってほしいと証しする第一のことでした(ローマ4:5)。《救われたのも主のために働いたのも、ただ神の恵みによって(10)》
彼は、神の恵みによって今の自分になった、と証しします。死んだ気になって自分でやり直したからクリスチャンは変わったのではありません。キリストが恵みによって私たちを新しく造られたから、変わったのです。それは人の意思や努力や行いによるのではありません(ヨハネ1:13,2コリント5:17)そしてパウロは「私に対するこの神の恵みは無駄にはなら」なかったと証しします(参:2コリント6:1)。救いもそうですが、救いが完成するために与えられる恵みも、信仰によって受け続ける必要があります。そのために主に自分をささげて明け渡すことが「献身」です。罪の増すところに恵みも満ちあふれます(ローマ5:20)。過去がどんなにひどくても問題でなく、かえってすばらしいのです。彼は、他の使徒たちよりも多く働いた、と証ししますが彼は自分を誇りません、それも神の恵みでした。《大切なのは十字架と復活の福音を信じること(11)》
このように証しした上でパウロは、すべての聖徒にとって大切な信仰の土台を確認して、証しを閉じます。それは、すべてのクリスチャンが宣べ伝えている福音であり、信じて救われた福音です(3-5)。十字架と復活の福音を宣べ伝える事が、主が命じられた教会の働きです(マルコ16:15,マタイ28:19-20)。そして私たちは、この福音を信じただけで、救いをいただいたのです(使徒16:30-31)。同時に、私たちが信じて救われたのは、神の恵みの賜物です(エペソ2:8-10)。神の恵みによらなければ、誰も自分の力で信じることはできません。新しくされたのも神の恵みです。さらに、私たちが良い行いに歩むことができるのも、神がそれを準備して与えて下さった恵みです。救いの道は、恵みと信仰から始まり、恵みの内を信仰によって歩む中、神様に守られて完成していきます。