2021年1月17日・・・復活を否定したとしたら
......もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。1コリント15:12-20パウロは、キリストの十字架と復活の福音を再確認した上で、聖徒の復活の希望についての混乱を回復します。キリストの復活と信仰の希望の結びつきを確かめましょう。
《死後の復活の約束は、キリストの復活と不可分(12-13)》
パウロは、どの教会でもキリストの十字架と復活を伝え、コリントの聖徒たちもそれを信じて救われました(1,22)。しかし、コリント教会の中に「死者の復活はない」という人たちがいました。死んだ聖徒のたましいは神のもとにある事も確かです(ルカ23:43,ピリピ1:23)。しかし神の約束は留まってはいません。主はこう教えられました。「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日・・・によみがえらせることです。......」(ヨハネ6:39,40,44,54,11:25)。キリストが肉体をもって復活したように、聖徒も復活するのです。死者の復活はないと言うことは、キリストの復活も否定することになるとパウロは問い返しました。《復活の否定は自分を神の敵とすること(14-15)》
キリストは、自身の復活を繰り返し予告されました(マタイ16:21,ヨハネ10:18)。弟子たちはキリストが約束の通りによみがえられたことを証しし続けました(使徒2:32,3:15,10:41他)。もしキリストがよみがえらなかったら、「神を愛しなさい、人を愛しなさい」という教えは真実であっても、「父はわたしに死んでよみがえることを命じ、わたしにはその権威がある」と教えた事が嘘だという事になります。キリストの教えや約束が嘘であるなら、キリストが救い主であり神である事は有り得えません。あるいはキリストが復活を語っていなかったのに、そう語ったと宣べ伝えているならならば、弟子たちは神・キリストに対して偽証した事になってしまいます。それは人を欺き、神を冒瀆してしまう事です。《キリストは復活が確かなので復活の約束も確か(16-20)》
神に対して偽りを語った者の教えや指導は、信頼できるでしょうか、できません。偽りの教えを信じて空しい希望を抱いているだけなら、やがて失望に終わります。もしそうなら「私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」とパウロは告げた通りです(:19)。期待が大きい程失望も大きいのです。しかし復活は多くの証人・証拠がある否定できない事実です(20)。神があらかじめ告げられた事ですから、成就しない事の方があり得ないことです。キリストの復活は、やがて私たちに与えられる復活の初穂です。キリストは「終わりの日・・・にその人をよみがえらせます」「わたしを信じる者は死んでも生きる」と約束しています(ヨハネ6:54,11:25)。キリストは復活の希望を宣言されました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)。