2021年1月24日・・・いつも喜んでいなさい
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
1テサロニケ5:16-18
神が私たちに望んでおられることは何か、創造の目的である「神の栄光」つまり、神のすばらしさが現わされる事です(イザヤ43:7)。しかし罪によってアダムの子孫である全人類は、「神を知らず、信じず、逆らう」罪に支配されるようになり、神の栄光を現わせなくなりました(ローマ3:23)。神に喜ばれるために、救い主キリストを信じることこそがスタートです。こうして救われた者は、キリストに守られて成長し、完成のゴールに至ります。上記の聖句は、私たちが成長し、守られ、完成するために、神が願っておられることを三つ挙げています。
《いつも喜んでいなさい(16)》
聖書は私たちに、喜べない時にも(ピリピ3:1,4:4)、苦難の時にも(マタイ5:12,1ペテロ4:13)喜びなさいと命じます。「喜ぶ」とは、良いものとして受け取り、それを楽しむことです。なぜ喜ぶのでしょうか、主が良くして下さるからです(ローマ8:28,31,39)。そして「いつも」とは、どんな時にも永遠に、という意味です。感情的には不可能です。つらく悲しい時に、その気持ちを無理矢理打ち消すように命じているのではありません。しかし主の守りと最善を知っているので、苦難も最終的には益となる良いものとして受け取ることができます。また主は、最高の賜物である「愛」を絶えず注いでおられますから、いつもその事を喜ぶのです(ローマ5:5)。
《絶えず祈りなさい(17)》
祈りとは、神様との交わり、神を意識し神を呼び、神の呼びかけや働きかけに耳を澄ましていることです。また祈りは、霊の呼吸と言われるように、絶えず神との交わりに生かされる事でもあります。パウロは「絶えず(止めることなく)祈る」よう命じます。それは24時間体制で祈りだけに集中せよと命じているのでなく、いつも主が共にあり主に生かされていることを意識していることです(詩篇16:8)。また祈る習慣が疎かになったり形式化してしまうこと、祈りを忘れて事に当たり「困った時の神頼み」になってしまうことがあります。しかし、あきらめずに取り組み続ける時にいつの間にか主が身に付けさせてくださり、楽しみ喜びとなります。
《すべてのことにおいて感謝しなさい(18)》
良いこととして受け取る「喜ぶ」に対して、「感謝する」は良いことを下さる主に差し出す神への賛辞です。「あなたのおかげです」とほめるのです。良くして下さった方々に感謝することはもちろんですが、私たちが感謝をささげるべきお方は、何より神様です。「すべてのことにおいて」感謝せよ、と記者は命じます。神が下さるものは、すべて良いものであるからです(2コリ9:8,1テモ4:4)。時に「これですか?」とがっかりするかも知れません。しかし主は深いお考えをもって最善のものを用意し、与えて下さいます(ルカ11:13)。主が良いものたちを見つけ、感謝し分かち合う「良いこと探し」を実践しましょう。恵みを発見、数えていくのです(詩篇103:1)。主はご自身の願っておられる事を、私たちが実践できるように強め、導いて下さいます。それが救いの確信となり、喜びとなり、人々への証しとなります(使徒16:25)。