2021年2月7日・・・死ななければ生かされません
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。この箇所は、キリストの死と復活を信じて与えられた救いが、キリストと共に死に、生きることであることを再確認しています。それは、キリストが教えられた通りです。
《死者の復活をめざして、聖徒は日・・・々死んでいます(29-31)》
バプテスマを受けるのは何のためか、とパウロは確認します。前の節にあるように、キリストは最後の敵である死をも滅ぼし、永遠のいのちの救いを完成されます。バプテスマは、死と復活のキリストを信じる誓いであり、キリストと共に死にキリストと共によみがえった救いの告白です。パウロはローマ6:3-5で、バプテスマの意義を確認しています。パウロは自身の歩みが死の連続だと証ししましたが、キリストは、ご自身に従う道は、絶えず、自分を死に渡す道だと教えて来られました。キリストは多くの人を罪と死から救うために十字架と復活の道に向かい、永遠のいのちを人々にもたらされました。そしてキリストから福音を委ねられた私たち教会は、人々にこのいのちを伝えるために、主の十字架の後を進むのです(マタイ16:24)。《死の解決が与えられたからこそ信仰のために戦う価値があります(32-34)》
パウロは、エペソで厳しい迫害を経験しました。地位・名誉・富を求める人間的な考えでキリストを伝えたとしたなら、何の得もありません。死への解決がなかったならば、今の世で楽をして楽しむ方が良い、と、信じない人は誘惑します。しかし惑わされてはなりません。人の歩みは地上だけで終わり、死と死後のさばきのために備えなくてはならないのです。イエス様は、「狭い門から入りなさい......」と教えられました(マタイ7:13,16:26))。目を覚まして神に喜ばれる道を歩みましょう。キリストは私たちを決して捨てず、報いて下さいます(ヨハネ6:39,マタイ25:21)。《私たちは朽ちない種を蒔かれて新しく生まれます(35-38)》
「死者はどのようにしてよみがえるのか、どのようなからだで来るのか」と疑問を訴える人がいました。確かに判らない事がたくさんあります。しかし主はすべてご存じで最善に導いて下さいます。主にお任せして、今の歩みのことを考えましょう。主は「種は死ななければ生かされない」と教えられ(ヨハネ12:24)、ご自身も一粒の麦として死なれよみがえられて、人々に永遠のいのちを与えられました。私たちも、新しく生まれなければ神の国を見ることはできません(ヨハネ3:3)。そして、新しく生まれるためには、古い自分は死ななければならないのです(マタイ10:39)。地上のものは世界も肉体も朽ちてゆきますが、神は永遠の御国を備え、各自に朽ちないからだを与えて下さいます。地上のものは古びてゆき、高く買ったものも価値を失ない、齢を経るごとに体は衰えてゆき、邸宅や財産を持て余すことになります。しかしキリストのために蒔いた物は永遠に残り、肉体は衰えても霊は日・・・々新たにされてゆきます(2コリント4:1)。パウロは死を前にした希望を証ししています(2テモテ4:6-8)。私たちも、永遠のいのち、復活の希望を抱いて最後まで歩みましょう。