2021年2月14日・・・その心が頑なになっていたからである
彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。
マルコ6:52(45-52)
聖書は、わずか5つのパンと2匹の魚で男だけで5000人の群集を満腹にさせ、余ったパン切れを集めたところ12のかごがいっぱいになったというイエス・キリストの奇跡を目の当たりにしても、弟子たちはそのことを「理解せず、その心が頑なになっていた」と私たちに教えています。
《イエス様は私たちのすべてを見ておられる》
イエス様は弟子たちを舟に乗り込ませて、湖の向こう岸のベツサイダに先に行かせました。イエス様はひとり陸に留まり山の上に登られます。対岸までの距離は5~6kmで、舟に慣れた弟子たちなら通常は1時間くらいで着くところでした。ところが、向かい風のために漕ぎあぐね、しかもそれが夜明けまで続くという思いもよらないことになりました。そのような弟子たちの悪戦苦闘をイエス様はご覧になり、夜明けが近づいたころ湖の上を歩いて彼らのところに行かれます。私たちが悪戦苦闘しているときもイエス様はいつも私たちを見ておられます。
《イエス様が解決できない問題はない》
人は誰でも先のことは分かりません。順調に進んでいた状況が、急に雲行きが怪しくなって気がついたら逆境の中に置かれている、そのようなことが人生にはあるものです。湖の真ん中で暗闇と逆風のさなか、弟子たちが舟を漕ぎあぐねている姿は、人が頑張っているのに思うような結果が得られず、どこまで続くのか分からないトンネルの中で悪戦苦闘している状況を連想させます。しかし、イエス様が弟子たちのいる舟に乗り込まれると、その瞬間に風は止みました。イエス様を喜んで心の中心にお迎えするとき、私たちは心の平安をいただきながら、本当の意味で自分らしく、実りある人生を歩むことができます。主の御名を呼び求める者はみな救われます(使徒の働き2:21)。すべての人の救い主であられるイエス様は、私たちが置かれた状況もつぶさに知っておられて、いつでもその御名を呼び求めることを期待しておられます。
《頑なでなく素直な心でみことばを受ける》
イエス様が湖の上を歩き、暴風を止める奇跡を経験した弟子たちの反応について聖書は、彼らは「心の中で非常に驚いた」と記しています。そして「彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである」と私たちに教えます。弟子たちの中で、イエス様がキリストすなわちメシア(救い主)であると最初に告白したのはペテロでした(マルコ8:29)。彼はイエス様から「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」と言われました。その時、夜通し働いて魚一匹とれなかったにもかかわらず「でも、先生のおことばですので網を下ろしてみましょう」と素直に従いました(ルカ5:4-7)。その結果、今までに一度もなかった大漁を経験することになります。イエス・キリストはすべての人のいのちの源であり、その必要を知っておられ豊かにお与えになる方です。私たちも頑なな者にならず、心を柔らかくして、聖書のみことばを素直に受け取りましょう。