2021年2月21日・・・主は傍にいて励ましておられる
二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」ルカ24:32(21-35)
復活されたイエス様は、40日・・・の間、縦横無尽に働かれました。時を超え、場所を超え、すべてをご存じで、大勢の人々にご自身が生きておられることを証しされました。人の姿で来られたため私たち人間と同じ様に見てしまいがちですが、全知全能の創造主、宇宙の支配者でもあられます。この方が傍におられることが、どんなに心強いかを確かめましょう。
《弟子たちは復活を受け止め切れず、不安をかかえていました(21-24)》
イエス・キリストは、聖書の預言の通りに、私たちの罪のために十字架で死なれ、三日・・・目によみがえられました(1コリント15:3-4)。しかし弟子たちは、死と復活が救い主の使命だと何度も教えられていたのに、実際起こった時、信じられませんでした。二人がこの方を救い主と信じた事、期待した事は間違っていません。しかしイスラエルを復興する前に、罪の赦しと救いをもたらす事がみこころでした。主は約束した通り働き導かれます(ヨハネ6:37,19:18,16:20)。しかし聖書に基かない人間的な期待を抱いたため失望したのです。たとえ全てが理解できなくとも、聖書の通りに受け止め、従いましょう。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない」のです(ローマ10:11)。
《主イエス様は、生きていてずっと傍におられた事を示されました(25-31)》
不安を感じている二人の事を主はご存じで、彼らのところに近付かれました。主はご自身の事を隠して語りかけ、彼らの話を聞かれました。ご自身の姿よりもみことばによって元気付けるためでした。キリストは、聖書を悟らせて解決を与えられました(27)。出来事だけでは、揺るがない自立した信仰が育たないからです。みことばにより知恵深くされてこそ信仰は安定します(詩篇119:130,133)。人の経験や考えはそれぞれ異なりますが、同じ真理のみことばによって、私たちは通じ合い、分かち合い、一致することができます。最後にキリストは、ご自身であった事を気付かせて離れました。見て信じるのではなく、見ないで信じる幸いな信仰を得させるためです(ヨハネ20:29,1ペテロ1:8)。
《二人は主とみことばによって元気づいて証ししました(32-35)》
キリストは、後をみことばとご聖霊の働きに委ねられました(使徒20:32)。見えない聖霊が、「もうひとりの助け手」としてすべての聖徒の傍、また内で導かれます。時間・場所・状況に関わりなく、主の恵みを伝え、信仰を育み自由を与えてくださいます。聖霊の働きのしるしは、聖書を悟る(1コリント2:14)、霊が燃やされる(32)、信仰の確信(2コリント1:22)、主と聖徒の交わりに導く(ピリピ2:1)ことです。こうして聖霊は証しの力で満たします(ヨハネ15:26-27)。聖霊に満たされ導かれて教会は広がって行きました(使徒1:8)。キリストは、御父、聖霊と共に世界を造り、全てをご存じで、全てを支配して、最善に導いておられます。私たちは、見えなくとも確かな主のみことばの約束と臨在にあって平安です。