2021年2月28日・・・天に属するからだに
私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。1コリント15:49(39-49)
パウロは、キリストの死と復活が、私たちが天国に入るために不可欠である事を、詳しく解き明かします。これを通して天国の希望を確かにしましょう。
《環境や生き方に合わせ神はそれぞれのからだを備えられました(39-41)》
神は、人間や様々の動物、鳥、魚、それぞれにふさわしいからだを備えてくださいました。神は、成長に合わせて全く違うかたちになる種類をも創造されました。例えばセミは、幼虫はずんぐりとした形で地中に住み、成虫は羽根を持ち樹上を飛び回ります。天上のからだと、地上のからだとは異なります。キリストは地上に来られた時、私たちと同じ朽ちる肉体を取られましたが、十字架の後によみがえられたからだは、時空を超えたからだでした。キリストは、その朽ちない体をもって天に昇られました。天は永遠の場所です、朽ちてしまうからだでは入れません。朽ちないからだによみがえることがどのように実現するか、主はきちんと計画し、約束の通りに実現して下さいます。約束された主に信頼しましょう。
《朽ちるからだが死に、朽ちないからだによみがえります(42-44)》
パウロは「死者の復活もこれと同じ」と告げ、朽ちるからだが死んで朽ちないからだによみがえる事が、あるべき姿であり可能だと証しします。キリストは、朽ちる肉をもって誕生し、からだを私たちの救いのために犠牲にされました。種が地に落ちて死んで多くの実をもたらすのと同じです(ヨハネ12:24)。そして朽ちない栄光のからだによみがえられました。復活の初穂として、私たちをも朽ちない栄光のからだによみがえらせるためです。キリストは、疲れ傷付き、病を負うからだで死なれ、よみがえられた時は、疲れず傷付かず、弱らないからだをもってよみがえられました。それは、生まれた時の血肉のからだではなく御霊に属するからだです。
《キリストは永遠のいのちと朽ちないからだを下さいます(45-49)》
最初の人アダムは生きるものとなりましが、最後のアダム(キリスト)はいのちを与える御霊となりました。罪と死をもたらした最初のアダムに対して、キリストは義といのちをもたらした最後のアダムです。聖書は、全人類に罪と死が広がったのは、最初の人類アダムが罪を犯したためだと告げています(ローマ5:12)。無垢だった最初の人アダムは、罪を犯して罪と死に支配されるようになりました。罪と死は子孫に受け継がれ、罪と死に支配された状態で私たちは生まれ、長じるにつれて罪を犯すようになりました。これが私たちの現実です。しかしキリストのただ一度の義のわざ(=十字架と復活)は、多くの違反を贖って余りある恵みによって、すべての人を義といのちによって支配します。キリストにある者は罪に定められることは決してないのです(ローマ8:1)。ただし聖徒は地上では、霊は新生しても肉のからだも残っています。肉のいのちは朽ちてゆき、私たちは死にます。しかしキリストが迎えに来られる時、罪と死に勝利した霊のからだをいただくのです。この救いの完成を待ち望みつつ歩みましょう(ローマ8:23-25)。