2021年4月11日・・・見ないで信じる人たちは幸いです
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」ヨハネ20:27(24-31)復活されたキリストは、それを信じられず隠れていた弟子たちの真ん中に立ち、傷の跡を差し出し、食して見せ、聖書から神の約束を解き明かして、彼らが信じるように導かれました。しかしその時外出していた弟子トマスは、仲間の証しを受け入れられないでいました。彼に対して主がなされた事を確かめましょう。
《自分で条件をつけて信じられなかったトマス(24-25)》
他の弟子たちが「私たちは主を見た」と証言しても、彼は信じられませんでした(:25)。仲間と同じ体験をできなかった事を、信じない理由にしてしまいました。そのため、仲間たちも心を痛めていたのです。他の人と同じ体験をしていない事を、信じないことの理由としていないでしょうか。この事も、トマス自身、そしてこれから信じる人々のために、主が配慮をもって導かれたことです。主は、試練を益として、栄光をあらわしてくださいます。(ローマ8:28)神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。《主はあらゆる障害を超えて信じさせて下さいます(26-28)》
それから8日・・・後までトマスはなお信じられないでいました。主はすべて見ておられ、彼が同席している時、同じ状況を再現されました。鍵が掛かった家に主は入り、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と告げました。彼が、それを体験しなければ信じないと言った言葉に答えて、上記のように告げました。自分を知っておられた主が、あわれみをもって自分を受け入れて下さり、手間を惜しまずご自身を示され「信じる者になれ」と招いて下さいました。彼はイエス様に「私の主、私の神よ。」と答えました。信仰の決心を妨げているものを主はご存知で、それを取り除いて下さり、障害を乗り越える信仰の力を下さいます。主を試さないで、条件をつけないで、主の全知全能の力に委ねましょう。《見ずに信じることの方が幸いであると主は教えられました(29)》
主はあえて彼に「あなたはわたしを見たから信じたのですか」と問います。その点は他の弟子たちも同じでした。しかし見ても疑い信じない人たちがいます。彼も信じる事を求め、主が信じさせて下さったから信じたのです。主の復活を目撃した使徒たちは、彼らのあかしを聞く人々が「見ないで信じることができるように」あかし人とされました(1ヨハ1:1-2)。ですから私たちは、主を見なくとも、イエス・キリストを信じ告白することができます。信仰から信仰へと日・・・々成長していくことができるのです(1ヨハ1:8-9)。主は、信じたいと求める全ての人を救いへと導いて下さいます。あらゆる犠牲をも惜しまずに主は私たちが信仰に歩むように助けて下さいます。ですから不信仰を捨てて主を求めましょう。訓練し成長させて下さる主を信じて、前進しましょう(ヘブ12:1)。