2021年4月18日・・・復活後の大漁の奇蹟
イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。ヨハネ21:6(1-14)復活されたイエス様が、ガリラヤで会えると伝言したことばに従い、弟子たちはガリラヤに向かいました。この箇所は、イエス様が弟子たちを助け、迎えて交わり、力付けたことを伝えています。
《弟子たちは漁に出かけましたが不漁でした(1-3)》
ガリラヤは弟子たちの故郷であり、迫害の渦巻くユダヤよりも安全でした。彼らは主に会えると聞いてそこに移動しました。しかし主に会えないでいました。ペテロは「私は漁に行く」と言い、仲間たちも従いました。主が十字架に向かわれた時、彼らは主を見捨てて逃げてしまい、ペテロはさらに主を否んでいました。もう主の使徒としてやっていけないとの失意が、彼らを以前の漁師の働きに引き戻したのでしょう。私たちも信仰生活に、もうやっていけないと失望したことがあるのではないでしょうか。私たちの経験するこの試練は、他の聖徒たちも経験したことです。しかし、一晩中漁をしても魚は採れませんでした。その不漁は、かつて網を捨てる前の失望とは違います。主の導きがなく、自分の思いで行動する働きはうまく行かないことを彼らは痛感しました。
《主は弟子に声を掛け大漁を再現されました(4-6)》
朝方、岸から声を掛ける方がいました。それはイエス様でしたが、弟子たちにはわかりませんでした。そこでイエス様は、冒頭のみことばの通りに、彼らに呼びかけました。これは、大漁の奇蹟の再現でした(ルカ5:1-11)。おことばの通りに網を打つと、引き上げられないほどのおびただしい魚が網に入りました。前回は主の権威を示して彼らを召すためのしるしでしたが、今回は、以前と変わらない主が共におられることを示し、召しを再確認するためのしるしでした。困難、失敗、そして失意......たとい状況が変わっても、変わることのない主が私たちと共におられ、守り導いて下さいます。
《主ご自身が、彼らのために食事を用意されました(7-14)》
主の愛された弟子(ヨハネ)が気付いて、ペテロに「主だ」と告げました。彼はそれを聞いて、舟も網も魚も仲間も置いて、上着をまとって主のもとに泳ぎました。その後を、仲間たちは、網を引いて小舟を岸に着けました。彼らは大切な主の奇蹟のしるしである魚を数えて「153匹」と記録しています。網も破れませんでした。主は「さあ、朝の食事をしなさい」と招かれました。お一人で、岸に食事を用意しておられたのです。彼らはただ、主が用意された食卓に招かれただけです。主と久しぶりにゆっくりと交わることができ、彼らは様々の疑念と恐れを解消したでしょう。私たちがいただく救いも交わりも、ただ主が備えて下さった恵みです。ただ主の招きに応えるだけで良いのです(イザヤ55:1-3)。主は、私たちが元気な時にも失望した時にも、変わらず私たちと共におられ、導き励ましておられます(ヨハネ6:37)。